吉阪隆正の実作と不連続統一体

富山・呉羽中学校の取り壊し、吉阪隆正展「頭と手」など、ポリタン・コスモでは吉阪隆正に言及する機会が多かったのすが、ちょっとまとめたいのと、実作を見てきた報告。
吉阪建築の住宅でもベストだとおもわれるヴィラ・クゥクゥ_近藤邸_1957。
「ゾウさんの家」として地域に愛されていたという。(ちなみに、吉阪のクゥクゥ→象、象のセラカント→シーラカンス、という名前の連鎖があります。面白いネ。)
クゥクゥは少なくとも自邸/浦邸とともに吉阪住宅建築3傑に入る。遂に場所がわかったので行ってみた。
20041226-coucou.jpg
メンテがしっかり行なわれていて、当初の姿を全くそのまま伝えている様に驚く。植栽まで同じではないか?と思うくらい。
浦邸のメンテのすばらしさに匹敵。(現役の住まいですから、見学は『パッと見』です。)


さて、この吉阪建築のキーワードのひとつに
「不連続統一体 DiscontiniusUnity」というわかったようでわからないコンセプトがある。
以前、いろんな矛盾を抱えた人間の器として建築を考えるから、シャープな建築にならない、と内藤廣が言っていたが、、「人間」を相手にすることが、どれほどややこしいことだったか、はこの不連続統一体のコンセプトを読めば伝わってくる。
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集めることと弘めること
独立を損なわずに統一を与えること
停滞に陥らない安定性
不安に導かれない可動性
二つの矛盾した力、それをそのまま認めつつしかも協調を見出すこと。
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この不連続統一体というコンセプトは、設計組織論、環境造形論、そして建築計画論であると言う。特に建築計画論では、吉阪が担当したコルビュジエのユニテ・ダビタシオン(英語ではUnit of habitation)の可能性と批判、乗り越えがベースにあると思う。
ユニテで明らかになった近代建築の矛盾(人間のためを考えてつくっているといつの間にか非人間的なものが出来てしまう)を、いかにして超えるのか? それの解答がこのコンセプトなのではないか?
この数日いろいろと考えてきたけど、やはり魅力的なコンセプトです。

吉阪隆正の実作と不連続統一体」への1件のフィードバック

  1. 問い合わせを受けて思い出しました。
    これを見た後で「はっ」と気がついたことがあったんですね。
    「ヴィラ・クゥクゥって、ユニテのユニットを切り離して置いたものじゃん!」

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