「文化としての住まい」-06_住まいの規範と安心できる住まい

inayan
(ごく稀に見られる八角形の伝統住居イナヤン)
060428_産經新聞和歌山版
住宅の性能が上がれば上がるほど、住み手にとって住まいの正体はつかみにくくなる。専門家ですら安全な住まいを見抜くのが難しい現在、もはや市民は設計士を信用するほかない。和歌山大学システム工学部の平田隆行助手は「住み手が住まいに直接関わることで「安心できる住まい」を手に入れられる世界がある」という。フィリピン・カリンガ族の「建築士なしの住まい」について、平田助手に聞く。


ーーカリンガ族の住まいとは、どのようなものですか?
簡単に言うと、松の柱を6本地面に立てて”足”とし、その”足”の上に松の板材でつくった”箱”を乗せ、その”箱”の上に茅屋根を葺く高床式の住まいです。広さはおよそ18平方メートル、平均的なワンルームマンションともほぼ同じ面積です。一室空間ですが、床の段差で3つに分けられていて一段低くなっている中央部に炉が切ってあります。段差は10センチ程で、腰掛けにちょうど良い高さ。この小さな家に一家7人程が暮らします。煮炊きは室内ですが、洗い場やトイレは屋外。最近は炉を別棟に移したり、茅屋根からトタン屋根へと葺き変えることが流行っていますね。しかし、住まい方自体はどの家も大差なく、屋根の形や構造もパターンが決まっています。
ーー住まいがパターン化されるのは大工の伝統技術が残っているからですか?
大工と呼ばれる人もいますが、カンナやチェーンソーなど、特殊な道具を所有しているだけの普通の村人。村にプロの大工がいるわけではないから住み手が自分で造ります。自分で木を倒し、木材を運び、板をはつり、柱を建てる。特別な道具は要らないし、手斧でほとんどすべてを加工できます。カリンガ族の住まいは匠の技として発展したのではなく、誰もが手を入れられる、等身大の住まいとして発展したものなんですね。自分で造っているからどのくらいの台風なら吹き飛ばされないか、どのくらいの重さに耐えられるのか、どこが弱くてどこがいたみやすいか、とてもよく知っている。たいした技術が用いられているわけではありませんが、住み手が住んでいる家の正体を身体感覚として知っているわけです。
ーーそこまで知り尽くしているのに、どの家も大差がないのは何故ですか?
住まいがパターン化されるのは、「住まいとはこういうものだ」という規範が、社会の中で決まっているからだと思います。住まいの規範に従って建てていれば、使いにくいとか、狭いとか、そんなことはこだわらない。性能が重要なのではなくて、ルールに従って正しく建てたものであること、由緒正しいことが重要なのです。
ーーその由緒正しい住まいとは?
カリンガ族の由緒正しい住まいとは、一つは建物の形で、密閉できる松材の壁と床、そして高床であることが重要。もう一つは建物を建てたプロセスで、きちんと儀礼を行った住まいであることが重要です。建設よりもむしろ儀礼に労力をかけることだってあります。住まいは雨風を防ぐものであると同時に悪霊や病から家族を守るためのものなんですね。そのために、豚や牛を供犠して建物にその血を塗って悪霊が忍び込まないようにします。
ーー少々おどろおどろしく住みにくいような気がします。
そういった一面があることは確かです。多大な労力を払って巨木を切り倒し、数キロも山道を運ぶ。それを用いて暗く閉鎖的な住居を造るわけですから。快適な住まいを手に入れるという意味では効率が悪い。でも、「由緒正しい」住まいに住むことは、それ以上の意味があります。由緒正しい住まいに住むことは、村の中でちゃんとした一人前の人間であること、その社会の一員であることを意味します。だからこそ、少々無理をしてでも規範に従い、同じような建物を建て、儀礼を行い、住みつく。そして結果的にとても美しい集落の景観が出来上がるのです。さて、この「由緒正しい住まい」とは何か、を調べて行くと、米倉にそっくりな住まい、ということがわかってきます。カリンガ族の住まいの理想は米倉なんですね。ここでも人と稲が不可分だと言うことがわかります。一方、米倉のような暗く風通しが悪い、おどろおどろしい住まいではなく、明るく自由な住まいに対する憧れも同時に存在しています。次回は、住まいと米倉、そして小屋へと話を進めて行きましょう。

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