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「文化としての住まい」09_「若衆宿と娘宿」

akugku
4人の子供たちが宿にするアクグク
060321産經新聞_研究室最前線 
フィリピン・カリンガ族の住まいは間仕切りなしのワンルーム。プライバシーは一体どうなっているのだろうか。和歌山大学システム工学部環境システム学科の平田隆行助手は、「日本でも子供が自宅で寝るようになったのはつい最近のこと」という。子供部屋などもちろんない、ワンルームに家族が住まう方について平田助手に聞く。

ーー前回、住まいは基本的に夫婦が住まうものだという話でした。
カリンガ族の住まいを見ていて気がつくのは、自分の家で寝ていない人がたくさんいることです。村人全員がどこで寝ているのかを調べますが、話だけ聞いても本当かどうかよくわからない。だから誰よりも朝早く起きて、家に押し掛けて、「おはよう!」という。そうするとだれがどこで寝ているのか調べられます。そうしてやっとわかったことは、小さい子供とその両親は100%必ず自宅で夜を過ごしているということ。もう一つは、それ以外の人たち、つまり10代の子供たちや未婚の若者、老人は自分の家では寝ていない、ということなのです。カリンガ族にとって住まいとは夫婦が子供を産み育てる場所なのですね。だから、住まいは夫婦が誰よりも優先して使う。しかし一方で子供を産まない人々、若い夫婦ではない人々は自分の住まいにとらわれず、実にルースに夜を過ごしていることが分かります。
ーー夫婦ではない人々は一体どこで寝泊まりしているのでしょうか。
まず、老人は住まいとは別につくった炊事棟に寝ることが多いですね。「妖怪が出る」と噂になってしまって誰も住まなくなった空家に寝ている老女もいます。よって夜間使われていない建物を利用していると言ってよいとおもいます。面白いのは老夫婦が別就寝なこと。老夫婦は全く別の建物に寝泊まりすることがほとんどです。日本の”定年離婚”のようなものでしょうか。次に未婚の女性たちですが、彼女達は未亡人の家に寝泊まりすることを好みます。夫に先立たれた妻は、自分の家も自分の棚田も持っていますから、親族の力を借りながらも自前で生活できます。そこを狙うのが若い娘達。10歳にもなると娘達は仲のよい友達とグループを作って未亡人の家に集まってそこで夜を過ごします。
ーー住まいは女性が所有するものでしたね。
そうですね。住まいは女性のもの、とい文化があるからこそ可能になる住まい方だと思います。この未亡人の住まいに娘達が集う建物をウユッグと呼びます。日本でかつて娘宿と呼ばれていたものと似ています。
次に未婚男性ですが、カリンガ族の男の子たちは、8歳か9歳になると両親と一緒には寝ません。男の子たちは兄弟や従兄弟たちと一緒に男性老人の寝場所に行ったり、場合によっては自分達で小屋を建ててそこで寝泊まりするようになります。これはアクグクと呼ばれます。
ーー8歳というと、小学校2年生ですよね。
ほんとうに小さな子供たちなのですが、柱を建て、床を張り、屋根を葺き、実に楽しいアクグクを建てます。小さな炉を切って、灯りをともせるようにしていたり、やたらと床を高くしたり、それもすべて手作り。材料も自分達で集めてきます。体が小さいから本当に小さい。調査で中に入れてもらうのですが、かごに乗っているように狭いですよ。大人は手足ものばせない。
ーーでは彼らが成長するとどうするのですか?
簡易でつくった小屋なので3年もすれば壊れてしまいますし、体も大きくなりますから入れなくなる。当然、別の建物に移ります。男子の就寝は実に流動的で不安定ですね。すぐに移動してしまいます。さらに屋根があればどこでもよいらしく、建設途中の住宅や炊事棟、軒下など、実にいい加減。ただ、独立心が強いのか、できるだけ自分達だけの空間を得ようとしますね。それがどんな劣悪な環境でもそれに耐えて寝ています。隠れてトランプで賭けていたりもしていますが。
ーーでは、妻に先立たれた夫や、離婚した人、結婚しない人はどうするのでしょうか?
未婚男性の場合は、食事は自分の両親とともにしますが、夜はやはり村のどこかで雨露をしのげる場所を見つけ出して寝ます。屋外だろうが、床があろうがなかろうがおかまいなし。小屋の片隅でムシロにくるまっている姿を良く見かけます。男性はパートナーがいないと住まいを持つことができませんから、夜の集落では非常に肩身が狭いんです。ワイフレス(妻なし)はホームレス(家なし)なんですね。
ーーすこしかわいそうですね。
ただ、家がないということはその分、自由なのです。月夜になると娘がたくさん寝泊まりしているウユッグの前には若い男がたくさん集まり、ギターやトガリという鼻笛を奏でます。娘達の気を引こうとするのですね。うまく行けばウユッグの中に入れてもらって楽しく話す。そこには友達はいても親や兄弟はいませんから、気兼ねをせずに楽しく過ごすことができます。ランプの火の下で鼻笛を聞くのはとてもロマンティックです。同様に老人は若い子供たちに自分の武勇伝を聞かせ、伝説を語り、生活の知恵をおもしろおかしく語って聞かせる。村にはテレビもゲームもありませんが、夜は、日常の労働や家族という縛りから離れ、芸能や文化の花開く、自由な交通の場所となるのです。

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