地震のタイミングは、絶妙だったのかもしれない。
オリンピック直前、
チベット騒乱直後、
聖火リレーで見られた世界的な嫌中ムードのまっただ中、
ビルマでのサイクロン直後、
胡錦濤来日直後。
震源は「カム」である。すなわち文化的にはチベットの一部とも言える地域だ。
ゆえに四川大地震は、政治的に極めて特別な意味を持った。
四川大地震は中国政府にとって、チベット系住民からの信頼を得る絶好の機会だし、世界の嫌中ムードを一気に変えられるチャンスだ。
嫌中ムード下で「中国万歳五輪」をやっていたら、世界中がシラけて後味の悪いオリンピックだっただろうと思う。
それが「地震に負けず助け合ってがんばろう五輪」に変われば、世界が応援してくれる。中国共産党は、ミャンマー軍事政権とは違うぞ、というアピールも出来る。
胡錦濤来日直後だったこともあって、日本の救助隊も駆けつけることができた。
おかげで重慶サッカー以降の反日感情がウソのように無くなった。
支援の理由が、政治的な理由であれ何であれ、災害に遭った人々にとってよりよい状況にさえなれば、それは良しとしよう。
諸外国も中国政府も被災住民もうまく五輪を使って、災害復興につながればよいと思う。
そんなことを思いながら5月24日放送の、NHKスペシャル「“死者5万人”の衝撃〜中国・四川大地震 最前線からの報告」を興味深く見る。
阪神大震災の風景が鮮烈に思い起こされる。
NHK取材班は、チベット騒乱とはうって変わってかなり自由に取材していて、被害の様子が動画を通じて伝わる。これは正直、意外だった。
孤立した農村部の被害は不透明なままだが、街での被害は「学校」が特にひどいようだ。瓦礫の山となっていて、凄まじい数の死傷者が出ている。
校舎が崩落してしまうと、学校を核とした避難活動、救助支援、ヘリの着陸、給水などの機能はおろか、住民コミュニティの再統合にも不利になる。
だから、日本では普通校舎は丈夫に造ることになっている。
これは日本が関東大震災と室戸台風で学んだことである。
行政の造った「校舎」が脆弱だったということになると、四川大地震は、「自然災害」ではなく、「人災」として扱われることになるかも知れない。
「地震」は自然災害であるが故に、「大切なものを失った人」に対する共感が生まれやすい。それが助け合いに繋がる。ボランティアにも繋がる。
しかし、人災となると、そうはならない。人災の場合は原因を探し、それを「憎悪」する。「憎悪」は場合によると対立を生んでしまい、それが被災者の状況を悪くする場合だってある。
そんなことを思いながら、1千万人以上と呼ばれる被災者の仮設住宅での生活に思いを馳せ、なにができるのだろう、と考える。
これからが、すごーく長く、そして大変なんだと思う。
多分、阪神大震災よりも。
P.S.
NHKスペシャルでは、日経アメリカ人の構造技術者が校舎の崩落を分析していた。彼は校舎の上層部から壊れた、と推測。おいおい、それは9.11のWTCだろう、と突っ込みたくなった。ちょっと考えられない。
ボイドスラブがずたずたに割れているのは、救出作業時に重機で割ったのではないだろうか?
P.S.2
今回の地震被害で、全然火災被害の話を聞かない。
なぜなんだろう?
被害が出なかったのだろうか?
これはジャワ島の時もそうだった。
(学会の調査報告会でも質問してみたことがありますが・・日本だけだろうか?こんなに火災が発生するのは・・・)