comeback

しばらく更新止めていたけど、復帰です。
ふぅぅー。とりあえず、一段落。
昨日、その足で神戸に帰って(17時)、起きたら朝7時!
和歌山に戻って(何しに帰ったんだろう?意識があったの45分くらいだ・・)、大学へ。晩飯時には県営プールでスイミング1000m(実にひと月ぶりだ)。
疲れてたんですね。
■23日リサーチペーパー発表
平山明義先生(建築家・建築評論家、大阪市立大学非常勤講師)
予想を超えるすばらしい成果。4年生はこれまでどうも評価が低かったが一気にかつて最高レベルまでのし上がる。卒業設計に期待!
特に良かったのは、本調、佐野。
本調はユーコートと島団地という、コーポラ集合住宅の共同空間を比較したもの。資料とフィールド調査を地道に積み重ね、修士論文に切迫する程のレベルに達した。議論となったのは島団地(和歌山県御坊市)をどう位置づけ、どう評価するべきか、という点。またコミュニティをどう考えるかという点だった。平山先生からコミュニティについての違和感が提示された。私としては「コミュニティ開放論」という考え方に賛同する。ウェルマンが提示した概念(「人は「地域」のなかに生きているのではなく、ネットワーク-個人を点とし個人と個人の間の相互作用を線で結んでいって見いだされる相互作用の密集-のなかに生きている」)で、コミュニティはあってよいが、場所とコミュニティは一対一で対応しなくてもいいし、人とコミュニティは一対一対応しなくていい、タコ足的に様々なコミュニティを組めばいい、と言うもの。そのための空間って、さてなんだろね?
佐野も同様。泉佐野市のウォーターフロントを掘り下げた研究。郷土史などの「書かれた歴史資料」と現実の現象を捉えた「サーヴェイ」、それをベースにした、現代の開発に対する批判が、うまく一本の線につながっている、説得力を持つものだった。
興味深く、また緻密だったのは片山。
これも修論に準ずる研究だった。積み木に着目した建築形態論。ただしこれを実際の設計に活かすのはすんごく難しい。建築の形態とは重力・風力などの諸条件をクリアすれば自由であるかに見えて実はそうではない。自分が住み、慣れ親しんできた空間にものすごく左右される。大々的に新しい空間を受け入れるってのは、その住人が余程切羽詰まった時なのだ。(第一次大戦とか、第二次大戦とか、高度成長期とか・・シトロアン住宅、ドム・イノなどのル・コルビュジエのモダン住宅は第一次大戦直後。)衣服のデザインを考えると興味深い。前衛デザイナーは「衣服」か「そうでないか」のギリギリのラインを突いてくる。そう、デザイナーとは「衣服」だと認識できる領域を押し広げる人たちのことを言う。建築も同じ。きわどい。
北脇の南海電鉄岬変電所という「産業遺構」については、いろいろと勉強しているが、この建物の位置づけをもう少しはっきりと考えた方がいい。コメントしたのは日本の「近代化」には2通りあり、ひとつは「西欧化」であり、様式建築のこと。おもに官庁や銀行に用いられる。もうひとつは「技術移転」であり、石造、レンガ造の建物と、工業化がこれに当たる。銀座レンガ通、ブラントンの灯台など。土木インフラ、工場などに用いられる。後期になるとRCや大規模鉄骨造といった現代構法の輸入、さらには自国開発(竹筋コンクリート構法など)へと進む。藤森照信が「擬洋風」という概念で、開智学校や第一国立銀行を挙げているがあれは、日本人が如何に「西洋」を受け入れ、それが地場の技術とどうハイブリッド化したか?という視点にたったもの。これらの意味をふまえて価値かすればいいと思う。(図面、ちょっとおかしかったから直しましょうね)
笠井の「縁」に注目した民家再生だが・・・
これもコミュニティという問題をはらむ。縁側とは、「袖振りあうも多生の縁」、他者が他者でないかのように現れることができる場所。」これは「セミパブリック」な空間というよりは、「身内」として振る舞える空間設定。
これが現代でも有効か?と言われれば疑問を抱かざるを得ない。地域みんな顔なじみという前提で成り立ちうる空間装置なのだろう。ではその現代的意義とは?
あたらしい「縁」の意義を見つけなければ成りませんね。集合住宅では「リビングアクセス」というアプローチが見られます。参考にしてみてください。(集住のなわばり学・彰国社・小林秀樹)
ふぅ。力つきた。

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