(2011年4月の現地視察のメモより)
羅賀は小さな入り江に出来た漁村集落で、ホテル羅賀荘という宿泊施設がある眺めのよい集落だ。
ホテルは大体12階建てくらいだが、東日本大震災ではその4階まで浸水した。遡上高さは20メートルを超えていると考えられる。集落も3割程度が津波にのまれ、集落で9名が行方不明となった(2011年4月当時)。引き波が速く遺体捜索は難しいという。道路は高所にあるが、その歩道の一部が波で持ちあがってしまっている。トンネルは天井まで水没。
なお、立ち話でお話を聴いた住民は昭和9年生まれ。昭和8年の津波は記憶はないが話は聞いているという。昭和三陸津波では集落で90名以上が死亡したという。道路脇の樹木の枝に昆布が引っ掛かっていた、と言われているので、今回と同じかやや高い位置まで津波が到達していた可能性がある。また、話しを伺った方の家の前まで来ていたとも。それは今回も同様であったという。ここ、羅賀では昭和8年と今回はほぼ同じなのかもしれない。
2013年1月再訪。ホテル羅賀荘は。観光バスがとまっており、客室の電気も多くついていたから、宿泊客がちゃんといるようだ。ほっとする。漁港、ホテルは復旧しているが、集落の浸水域にはもちろん家は建っていない。部分的に移転することになったはずである。(未確認)
ホテル羅賀荘がきれいになって再開していたのが印象的だった。とてもうれしい。
(追記)
田野畑のことや、ホテル羅賀荘のことは、田野畑の漁師さん「山と土と樹を好きな漁師」http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako が重要な情報を提供してくれている。ホテル羅賀荘は地域主体で運営する観光ホテルで集客能力も高い。宿泊者を含めた津波避難訓練を定期的に行っていたことが功を奏して、ホテルでの死者はなし。
ジオパーク、というか、震災ツアーをやるとすれば、非常に良い立地だと思う。南海トラフ巨大地震エリアの自主防災組織の幹部を、税金を使って三陸沿岸に派遣すべきだ、と私は訴えていますが、ここはそれに相応しいように思います。
応援してます。