「負ける建築」とランドスケープ

アーキフォーラム“マゾヒスティック・ランドスケープ”第一回目の講演会に行って来た。テーマのマゾヒスティック・ランドスケープとはどうやら、ランドスケープ(機能)がS的(サディスティック)に規定されるものではなく、M的にユーザに獲得されるものであるべきだという考え方のことのようだ(つまり青木淳がいう“原っぱ”とほぼ同義か)。そういうことでゲストは負ける・受動的な建築を提唱する建築家隈研吾、筋書きはそういう感じ。AKr より

Mというのは、相手にムチ打たせることができる優位な立場だ、ということを言うジェンダー学者もいます。相手が本気で憎しみをもってムチ打ったらヨロコべないらしい。おほほ。
「負ける建築」で勝ち続けるスーパー建築家・隈研吾。
建築で目立たず、建築家として目立つにはどうするか?がポイントか?
「柔よく剛を制す」ですね。
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(紅葉してきましたね・・・孝子峠です。)


「獲得される場所」であるにはどうするべきか?、が問題にされているようだ。
参加だとか、占有だとか、アノニムだとか、いろいろあるよね。
ランドスケープっていう言葉に反応しよう。
ランドスケープ課題の演習で、本多教授が「ランドスケープ(風景)とは、その人の心が現れてくる」と強調していたが、まさにそうだと思う。それは、景観の質でもあるが、景観を見る側の質でもある。
夕日を美しいと思う心には違いがある。
それは自らの経験と強く結びついている。ずっと土を相手にしている農家や海を相手にしている漁師とサラリーマンとでは夕日の質が全然違う。人生と一体化したランドスケープがそこにはあるからだ。矛盾やら絶望やら希望やらが渾然となった風景。
キアロスタミの「ジグザグ道三部作」は、そんなランドスケープを感じさせてくれる映画だった。
「マゾヒスティック・ランドスケープ」と聞くと、なんだか現代人の心の荒廃ぶりを象徴するようでなんだか寂しい気もする。

「負ける建築」とランドスケープ」への5件のフィードバック

  1. さすが、ご存知だったのですね。
    では、“遊郭ビックバン(井上造語)”はご存知ですか?
    まねき猫、そして「猫をかぶる」の由来(真偽は謎)についてはご存知でしょうか?
    少し、文章では書きにくい内容ですので、ぜひ次回お会いしたときにでも。
    忘れないように、と思って書いておきます。
    ドコデモドア建築論、も楽しみです。

  2. 桂離宮と日光東照宮だったら、私は東照宮だな。
    「経験・記憶・思い出」に関連して、仮説住宅に入った小千谷町の皆さんのうち91%の人が、小千谷に戻って再建したいと希望しているというニュースを出張中の車の中のラジオで聞きました。これってその話に関係あるよねえ?
    (言いっぱなしコメントでした。)

  3. 「つくられた桂離宮神話」ですね。
    私も読みました。
    岸田日出刀たちが、タウト=欧州建築家に、桂離宮がモダニズムの美学を持っていることを「発見」させた話。でも実はタウトは純粋なモダニスズム美学の建築家じゃないから、ミスキャストなんだけど。
    伊東忠太が法隆寺とギリシャ建築を強引に結びつけようとしたのと同じことなんでしょうね。
    確かに、見る側の経験やら、シチュエーションで受け止め方がとても変わってくるだろうなぁ。
    またまた飲んだときに話しましょう。(ドコデモドア建築論も)

  4. 昨日、例の講演会行ってきました!
    で、ちょっと重なるかな、と思う話があったので少しコメント。
    桂離宮の話ご存知でしょうか?
    ブルーノタウトが絶賛した、という話。
    この話、井上的視点では違った話になりそうです。
    実はタウトが日本を訪れたとき、横にいた女性は事務所の秘書だったそうです。
    (つまり、不倫相手。これはよく知られている話だそうですが、公的には“妻”と書かれることが多いらしい。井上さんですら、愛人とは書きにくく“伴侶”と書いたとか・・・余談ですが)
    日本へは、シベリア鉄道経由で舞鶴に到着。その足で桂離宮に向かったといいます。
    つまり・・・
    延々続くシベリアの荒涼とした風景、そこから船に乗り換え日本海を経てついたところが舞鶴。
    愛人との逃避行・・
    こうしたシチュエーションで最初で見た日本の建築が“桂離宮”だった、と。
    もし、最初に訪れた場所が桂離宮ではなかったとしたら。。。
    もし、同様のシチュエーションで桂離宮を目にしたとしたら。。。
    建築、もまた体感する人の心のあり方によって見え方も違う、ということに大いに納得した話でした。。。
    他にも色々面白い話が盛りだくさんでした。
    ぜひ、次回忘年会ででもお話しますね。

  5. 心ですか、確かに経験・記憶・思い出、、、昔遊んだ空き地とかって今でもすごい心に残ってますもんね。
    講演ではマゾヒスティックということは、サディスティックに強制しない、、、あまりいじらない、、、何も手を加えない方がいいのでは?みたいなことになってました。
    その時にランドスケープデザイナーはどうするのか?
    マゾヒスティックランドスケープという言葉がコーディネーター自身の首を絞めるかねんのでは?というヒヤヒヤ感がその場に流れたのが印象的です。
    ボクは東京日和のただの岩で竹中と中山がピアノを弾くシーンをピラタさんのコメントで思い出しました。余談ですがブックオフで東京日和のビデオ買っちゃいました、むふふ。

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