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産経新聞「防災減災わかやま」2014年4月 地域でつくる地区防災計画

産経新聞140423

昨年,地域防災に関わる重要な法整備が行なわれました。
これまでの防災計画は,防潮堤を築いたり建物の耐震性を高めるなどの被害抑止と,消防や自衛隊などの公的サービスによる救護が中心でした。しかし,東日本大震災のような大規模災害では,これだけでは不十分です。想定を越える津波は防潮堤では防げず,同時多発する被災現場に消防や自衛隊だけでは対応できません。近隣での助け合い(互助)が重要になってきます。そこで創設されたのが「地区防災計画制度」です。

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産経新聞「防災減災わかやま」2014年2月 激増する空き家が避難路をふさぐ

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むらづくりの現場で住民の方に必ず尋ねる質問があります。30年後,あなたの家には誰かが住んでいると思いますか,という質問です。30年後も自分が元気に住んでいるかもしれないし,子どもが跡を継いで住み続けているかもしれません。あるいは誰も住み継がずに空き家になっているかもしれません。その回答を集落ごとに集計すると,30年後のむらの様子が予測できます。 30年後も住んでいる,という答えはあまり多くありません。クエ祭りで有名な日高町の阿尾という漁村では,30年後に集落の世帯数が半分になるという結果が出ました。紀美野町の複数の集落で行なった調査では30年後の世帯数は4割という結果が出ました。海南市下津町の漁村,大崎では3割に減ります。津波などの大規模災害を想定して減っているのではありません。ごく自然に,世帯数が30年間で半分から1/3になるのです。これは驚くべき数字です。 全文を読む

産経新聞「防災減災わかやま」2013年12月 危機感の欠如とあきらめの蔓延

今年度海南市に新たにもうけられた避難のための階段。ハードでもソフトでも「希望」を持つことで「あきらめ」に打ち勝つことが重要。

今年度海南市に新たにもうけられた避難のための階段。ハードでもソフトでも「希望」を持つことで「あきらめ」に打ち勝つことが重要。

 

東北の三陸地方で話を聞くと,東日本大震災以前から活発に避難訓練を行ったり,過去の津波浸水を確認したり,専門家を呼ぶなどの活動をしていた地域が多くありました。役所が設定した避難所に不安を感じ,大学の専門家を呼んで,避難所をより高い場所に変更しなおしていた漁村もありました。東日本大震災によって,三陸は大きな被害を受けましたが,それでも昔から津波に対して常に警戒をしてきた地域であることがよくわかります。

和歌山は三陸と同じく,定期的に津波に襲われる地域ですが,串本などの一部をのぞけば,津波に対する危機感は少なく,実に「おっとり」していると言われています。昭和の南海,東南海地震が比較的小規模だったからかもしれません。

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産経新聞「防災減災わかやま」2013年10月 2年以内に地震が起こると宣告されたら

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南海トラフの地震は,東海(駿河湾)・東南海(御前崎沖から紀伊半島沖)・南海(紀伊半島沖から四国沖)の大きく3つの震源域にわかれます。この3つの震源域は同時にずれ動くこともあれば,時間差で動くこともあります。1707年の宝永地震は同時に起こり,1854年の安政地震では32時間の時間差がありました。さらに1944年と1946年の昭和地震では2年もの時間差がありました。過去の地震履歴からは、東南海の震源域がずれ動いた後に南海の震源域が動くことがわかっています。時間差は同時から2年と幅はありますが,ずれ動く順序は決まっているようです。

さて,問題はこの時間差です。仮にいま東南海で地震が起こったとしましょう。南海地震はまだ発生していませんが,時間差で発生することは確実ですので警戒しなくてはなりません。学校は休校になるでしょうし,公共交通機関も運休するところが増えるでしょう。職場では危険性のある機械を止め,船舶は沖合で津波を回避しようとするはずです。津波の浸水域にある住宅では避難が呼びかけられ,高台の避難所で過ごすことになるはずです。

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1.17_阪神淡路大震災19年

阪神淡路大震災後に被災者支援を行なう山口組。本部前にて撮影

阪神淡路大震災後に被災者支援を行なう山口組。本部前にて撮影

広域指定暴力団・山口組の本部は神戸市灘区の山の手にある住宅街にあります。阪神淡路大震災では倒壊率の低い地区で,震災の直接被害はあまりなかったと思います。1980年代は山口組の組長をめぐる抗争が頻発し,一般市民が巻き込まれて死者も出ており,警察が24時間の監視していました。暴力団排斥を訴える住民運動もありました。

さて,その山口組ですが,阪神淡路大震災直後に,かなりのボランティア活動を行なっていました。全国的な暴力団組織のお膝元ですから,トップの号令で「いざ鎌倉」とばかりに構成員が集まったのでしょう。自衛隊さながらにキビキビと,黙々とボランティアに精を出していました。パンチパーマの男たちが、紙おむつを運ぶ光景はとても印象的でした。 全文を読む

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