産経新聞「防災減災わかやま」の連載を担当することになりました。
和歌山大防災研究教育センターの特任准教授であった照本先生が担当されていたのですが、徳島大学へ赴任され、担当を引き継ぎました。2ヶ月に一度、掲載されます。1年程度の担当になるかと思います。
産経新聞「防災減災わかやま」の連載を担当することになりました。
和歌山大防災研究教育センターの特任准教授であった照本先生が担当されていたのですが、徳島大学へ赴任され、担当を引き継ぎました。2ヶ月に一度、掲載されます。1年程度の担当になるかと思います。
(2011年4月の現地視察のメモより)
羅賀は小さな入り江に出来た漁村集落で、ホテル羅賀荘という宿泊施設がある眺めのよい集落だ。
ホテルは大体12階建てくらいだが、東日本大震災ではその4階まで浸水した。遡上高さは20メートルを超えていると考えられる。集落も3割程度が津波にのまれ、集落で9名が行方不明となった(2011年4月当時)。引き波が速く遺体捜索は難しいという。道路は高所にあるが、その歩道の一部が波で持ちあがってしまっている。トンネルは天井まで水没。
15.5mの津波防潮堤を作っていたため、居住域が完全に無事だった太田名部集落。漁業関連設備が中小企業再生機構の支援で復旧している。また、津波防潮堤の上部をコンクリートで嵩上げ。地盤沈下分を載せたらしい。
2011年4月(震災1ヶ月後)と、2013年1月(21ヶ月後)に同じ場所で撮影した写真を並べてみたいと思います。まずは、2013年(現在)の写真。
一部に水産施設が建っているが、建築規制から住居系の建物は全く建っていない。小さな倉庫が建てられている。そして電信柱。
2013年1月6日から8日まで、一年ぶりに岩手県沿岸部を廻った。2011年4月に廻ったルートとほぼ同じ場所を再訪問した。
震災4週間後と、21ヶ月後の風景を比較してみたい。2013年1月の写真、2011年4月の写真を連続して載せたい。