阪神淡路大震災から10年。
9.11から半年経つか経たないかの時、多分2001年の年末くらいだろうか? ドイツ人建築ジャーナリストを車で送迎している時に9.11のことを話していた。その時、ドイツ人はこのテロが人々にあたえる影響について考えているようだった。簡単に言うと、見慣れたランドマークが突如として消えてしまった欠乏感、そして見えない敵に対する漠然とした不安についてだった。(もちろんブッシュはそれに偶像を与えてタリバンとフセインに「反撃」するのだが・・・)
そのとき言ったのは、神戸ではある意味ニューヨークを先取りしているということ。
当然来ると思っている明日と言う名の日常が、突然崩壊し、戦場になってしまう。それは十分にありえるんだ、ということ。リスクは絶えず存在しているということ、それを肌身で知ったわけだから。
私自身がつよく意識しているのは、震災で「時が区切られた」ことだ。
950117を起点にして何年後なのか、前なのか。
それは当然の話で、震災前と震災後では、神戸という街が違うし、前提となる社会も全然違う。だから、震災後なのか前なのかをハッキリしておかないと時代背景が読めなくなる。
(同じような話を宮本圭明が書いていたが・・・)
だから、9.11は、同じように時を区切るものになるだろう、と、コメントした。
ただし、阪神大震災で私たちが垣間みたものは、信頼をベースとする社会の可能性だった。地震直後の高揚感、誰とでも話し、経験を共有し、組織や肩書きを超えたコミュニケーションの可能性・・・・。
9.11以後のアメリカには、いまのところ不安をベースにする社会しか現れてきていない。