やはり、事態は・・

扇町公園_2005年1月19日撮影
(写真は扇町公園のテント。2005年1月19日撮影)
28日のエントリで、「ホームレスの住所」にて触れた、金曜日の大阪地裁での判決。
この判決を聞いてと速攻書いたのは以下の文。

とすると、近隣住民や、行政、ホームレス敵視の住民は、
公園に居座られては困る、と、ホームレスを公園から徹底排除することにつながらないか? ホームレスが公園で生活しているという状況そのものを排除することにならないか、心配だ。

週明け月曜午前、はやくも行政が動いた。
(追記です。もともと強制撤去は予定されていたそうです。その直前に判決が出たというほうが正しいようです。意味的にはどちらも同じですが・・・)
ホームレステント、大阪市が2公園で強制撤去 asahi.com 2006年1月30日 13:19


事態はこんな風に動いてしまった・・・。
さて、私のデータベースに検索かけると、以下のテキストがヒット。

「普通の社会」は、「住宅」の範囲を定義づけ、「住宅/非住宅」の境界をつくる。「普通の社会」は立派な家族が”自立”して定住する立派な”住宅”を「住宅」として定義する。(中略) 「住宅」の範疇の絞り込みはホームレスを生み出す要因になった。 
by 「住宅/非住宅の境界」平山洋介、建築雑誌2001.10 「特集・変容するコミュニティ」、(引用元、間違っていたらごめんなさい、再確認必要です ) 

今回は、この「住宅」の範疇が判決によって拡大した。ホームレスな人たちの住まいを住宅と認めたわけだ。すると、そのホームレスな人々の住まいを「なかったこと」にし始める。
非住宅と住宅の境界、定住と非定住の境界が地殻変動を起こしたとたん、逆向きの力が作動する・・。非住宅からやってきた住宅は、それそのものを無いことにしてしまう。
こうやってホームレスな状況はやはり、ホームレスな状況として、いや、さらに厄介な状況へと送り込まれる・・
明治時代、身分の上下を無くす法整備が整うと、非差別部落の多くが焼き討ちにあったり、さらにひどい差別が起こったという。構図的には同じことかもしれない。
そういえば、昨日、吾妻ひでおの「失踪日記」を読み返してしまった。どうでも良い話だが。
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27日の前エントリには、コメント欄に記入してくれた方にプラスしてメールでも意見をいただいた。ありがとうございます。

やはり、事態は・・」への8件のフィードバック

  1. >ホームレスな人たちが求めているのが、一体どういう社会の姿なのかが見えません。
    「まわりと同じ、普通の人間として扱ってくれ」ちゅうことじゃないのかな。
    行政は所得や住まいの有無、着ているものの善し悪しで人を判断しない、差別しないことになっているけど、ある限度を超えたとき、「マナー」「美観」「安全」「衛生」「公共」といった理由をつけて、ホームレスな人々を公園ちゅうパブリックスペースから追い出す。
    そうでなくとも、着ているものや所得によって、いろんな場所から排斥されている人は多い。公園は誰にでも開かれているはず。「誰にでも開かれている」というパブリックの意味を、ちゃんと理解したい、ということ。
    限度はあるとはいえ、それは、ホームレスな人々の存在を許容する我々の意識をもっと開く方向にも向かうべきだと思う。
    私は大阪のまちの魅力のひとつに、その異質性や多義性、両義性を飲み込む懐の大きさと、そこから生まれる文化の豊かさがあると思っている。
    不法占拠と「懐の深さ」とは、いつもギリギリのところでせめぎあう微妙なポイント。
    だから、都市ではいつもそのポイントに注目し、興味がわき、いつも気にしているのだとおもう。どちらかが一方を完全に飲み込んでしまわないように・・・・

  2. hiraさんのコメントを読み、毎日新聞の夕刊を読んでみたら、なんとなく見えて来ました。
    私はきっと、このホームレスな人たちに対して、コミットする力がないんだなあ。と。
    件の判決に関しては、その判決がもたらす影響は別にして、判決そのものは正しいのではないかと思います。一方で、公園を不法占拠している、という行政側の言い分も、その部分だけをとってみれば、全くその通りではないかとも思います。
    法律上どうなんだという話だけでは語れないでしょうけど、あさみの現時点での考えとしては、不法占拠は×だけど、仮設ハウスのような私有財産を強制的に撤去廃棄するのも×ってとこなのかなあ。
    で、
    上記の不法占拠は×という前提にたって考えると、支援している団体の人たちを含めて、ホームレスな人たちが求めているのが、一体どういう社会の姿なのかが見えません。「(例えば)公園に住まうことを不法占拠でないような仕組みにして欲しい」ということなのかしらん。

  3. 立ち位置ですか。
    ストリートライフな人々をどう思うか?と聞かれれば、「明日は我が身、と思うことはヒジョーに多いが、他にはなんも思わん。」です。私にとっては、彼らは共生条件をクリアしていますので、全然オッケー。だから、なぜイチイチ排斥するんだ!と思っています。
    多数者と言う部分は、文脈がよくわかんないけど、多数派かどうかはあまり関係ないです。単に「そんなに目くじら立てんでもええやろ」と思っているだけ。ゴミポイ捨てする人は誰であれカチンと来ますが(笑)。

  4. ふむふむ。若干クリアになってきました。(私の頭が、、、、ですが)
    hiraさんの「見えなくなってほしい」【なるほど、そうかもね。でも、それが一番質が悪そうだ】と、tempeiさんの「権利を行使することは別」【そりゃそうだよね。私が議論の方向を間違えてました】で、ちょっと見えた感じです。
    で、
    tempeiさんの言うところの「多数者の間の合意」の「多数者」と「自分」との関係を、お二人はどのように位置づけますか?「多数者」の一部?それとも、多数者とは無関係な少数派?
    なんだか青臭い議論になるのは承知ですが、どうもこの問題、自分の立ち位置を明確にできないでいるんです(恥。<それが議論が見えない理由のような気がして来た。

  5. 大阪地裁の判事さんは、まともな方だったと思います。何とかホームレスの人にも、普通の権利が保障されるように法律上の知識を駆使して考え出した判決でしょう。
    しかしながらまともな判決は、しばしば上級審で覆ります。
    なぜならそのような施策は国や行政の施策と一致しないからです。ホームレスの人は共同体の枠の外だという認識ですから、出来るだけ人目につかないようにするのです。さすが平山先生のご指摘が的を射ていると思います。正月前に、離れたところにプレハブを建てて、出来るだけ多くのホームレスをそこに収容しようとしますが、あれは福祉政策と言うよりも、隔離政策なのだと、私は考えています。だからこそ、なかなか皆さんは行きたがらないのだそうです。
    20年ほど前に、大阪の天王寺公園に塀が出来て、有料の公園となりました。ホームレスを排斥する目的で、大阪市がおこなった行為です。釜ヶ崎にも近く、多くのホームレスの人たちが青カン(野宿のことをこう呼びます)をしていたからです。
    ですから、判決の有無に関係なく、排斥はおこなわれると考えるのが実像だと思います。問題はその判決の持つ一時的な影響力でしょう。私はそれほど大きくないと考えます。利用しようとする人は多少あるかもしれませんが。すでに多数者の間で、合意は形成されているのですから。
    また、権利を所有することを認めることと、その権利を行使することとは全く別の事ですから、権利を所有しているホームレスの人が、権利を行使したくないので行使しないことは全く矛盾の無い話だと思います。
    余談になります。他の国のことは知りませんが、この国では、判事と検事には、国から要注意な人だと思われていれば、なることは出来ません。本人だけでなく、親族に関しても調査が及ぶそうです。そのような人は、司法試験を受かっても弁護士の道を歩むしかないそうです。アメリカは確か、検事は弁護士と同様な立ち位置であり、原告と被告のそれぞれの代理人、判事は中立な立場のレフェリーというのが、原則のはずです。

  6. あと、議論が判りにくいのは、かなり速攻で書いているからです。かなりなぐり書き。
    全然まとめてないからです、ハイ。私の責任です。

  7. >ホームレスな人たちを近隣住民、行政が敵視する、それぞれの理由はどんなことなんでしょうか?
    「ホームレスは「見えない貧困」ではなく、「見える貧困」である。この『可視性』こそがクリーン・ニューヨークをいらだたせる。」平山洋介先生(同上)
    ということなのではないでしょうか?
    >そもそも行政あるいは、近隣住民はこのホームレスな人たちにどうなって欲しいのか?
    見えなくなってほしい(目に入れたくない)ということではないでしょうか? 表向きには「治安上の理由」ということになりますね。上野公園のイラン人排斥と同じではないでしょうか?
    >ホームレスな人たちの中には、住所地があることにまつわる諸権利をも自ら放棄したいと思っている人も居そうな感じが(直感的に)しますが
    もちろんそうだと思います。借金取りに追われているとか、支払いを踏み倒しているとか。でも、ホームレスな人がみんなそうだ、という訳ではないですね。

  8. ふむ。
    どうも議論の全体像がよく分からないです。いや、議論されていることの内容は分かるんです。おそらくこの件が上級審にもつれこんで、そこでひっくり返るだろうことも、なんとなく想定できます。
    でも、どうも全体像が見えない。なんでだろうと考えて見たのですが、、。いくつかの疑問を解消しないといけなさそうです。もしよければおつきあいください。
    ホームレスな人たちを近隣住民、行政が敵視する、それぞれの理由はどんなことなんでしょうか?
    この判決が、行政(例えばさっそく行動を起こした大阪市など)にとって不利益をもたらすとしたら、それはどういう形の不利益なのか。(だから大阪市は動き始めたわけだよね?)
    そもそも行政あるいは、近隣住民はこのホームレスな人たちにどうなって欲しいのか?極端な話が「殺戮による絶滅(とか)」から「家がないならうちにおいでよ(とか)」までいろいろあるんだろうけどさ。
    ホームレスな人たちの中には、住所地があることにまつわる諸権利をも自ら放棄したいと思っている人も居そうな感じが(直感的に)しますが、実際のところどうなのか?
    というあたりが整理できると、もう少しきちんと考えられるかなあと思うのですが、、、。参考になるものがあったら教えて下さい。

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