今年もやってきた恒例「近代建築・卒業制作優秀作品」の推薦のことば。
ことしは、高野口町のパイル織物工場のリノベーションを行った木村君の作品を評した。
■推薦のことば
和歌山大学システム工学部環境システム学科助手
平田隆行
優れた建築とは、ワクワクしたり、ゾクゾクしたり、弛緩と緊張が入り交じったここちよい感動を体験者にもたらす。そこでは五感が解き放たれ、その場所にたたずむことで何かを感じられるようになる。私たちはあらゆる感覚を使ってその空間を受け止めようとする。
空間を通じて人に何かを感じさせようと考えたとき、設計者は空間をドラマティックに演出するのが普通だ。体験者を圧倒的な迫力でつつみこんだり、見たことも想像したことも無い斬新な空間で度肝を抜いたり、意味ありげな形態で権威づけたりする。特にモダニズム以降、建築家は抽象の美学によって空間を演出するようになると、明暗をコントロールし、視線をコントロールし、ボリュームのコントロールをし、それが建築デザインのメインストリームとなっていった。
それは決して間違っていなかったとおもう。が、空間によって何かを感じさせるには、もう一つ重要な方法があったはずだ。それはある空間をきっかけとしてその人の過去の空間体験を呼び覚まし、それによって豊かな空間体験をあたえる方法だ。”いまここの空間”と”記憶の中の空間”を重ね合わせて体験させるのである。
木村君がこの設計で試みたのは、まさに住人の中に眠っている大量の記憶、そのストックを活かした建築の提案だった。そのために高野口という土地が持つ歴史や栄光を調べ、街の集合的無意識になっている風景や音を探り、パイル織物工場という建物を見いだす。そして記憶を引き出すフックがなんなのかを知り尽くした上で、リノベーションに取りかかった。
この計画は街並の保存や産業遺構の利活用に意味があるように見えるかもしれないが、そうではない。むしろより豊かな空間を生み出そうとする意欲からリノベーションが選ばれたと見るべきである。記憶の集積がすべての創造的試みのインスピレーションの源泉であることは周知の通り。思い出に耽溺するのではない、”記憶”を足がかりとした豊かな空間体験と創造。退役した織物工場の屋根に橋桁のような大架構が覆いかぶさっている様は、その大いなる志を表しているように見える。