2006年1月31日産經新聞和歌山版「サイエンス・研究室最前線」
前回の「忌籠り」のように、他村との交通を遮断してしまうフィリピン・カリンガ族の村。そこでは他地域に依存せず、自足的な生産と消費のシステムが築き上げられている。持続的に資源を得るためにどのような仕組みがあるのか? 和歌山大学システム工学部環境システム学科の平田隆行助手に、カリンガ族が里山を守る知恵を聞いた。
――カリンガ族の里山とは日本の里山と同じようなものなのですか?
平田助手 そうですね。集落から歩いて三十分から一時間ほどの松林です。ガスや電気が普及する前の日本の里山と同じで、薪の生産地という意義が最も大きいと思います。もちろん建材もとれるし、キノコや薬草もとれる。保水や養分など、棚田を支える保全林でもあります。しかし少し外れると水牛の放牧地で、野焼きをするから木は生えていません。隣村との境界付近なんて一面の草原です。血讐が起こると隣村の境界まで薪をとりに行くのは自殺行為ですし、敵の襲来に備えるという意味でも見通しが大切なのでしょうね。
――それで、森林は荒れてはいないのですか?
平田助手 村に入った当初は、村の外側にはげ山が多く、「環境破壊だ」と思ったんですが、このはげ山の状態が正しい状態なんです。木材を都市へ輸出するのは政府から厳しく制限されていますし、木材は麻薬と違って密売も密輸も難しいから外へは出ない。薪の使用量もやや増えているくらい。五十年前の航空写真と今の里山を較べても大きな変化はないのです。外側は草原、内側に里山、という人工的な環境をバランスよく維持しているようです。
――なぜ、うまく維持されているのでしょうか? 乱伐は行われないのですか?
平田助手 その運営の見事さには感心するばかりです。まず、山林の土地そのものは所有できない。しかし松の伐採権はあって、それは個人名で所有されています。おもしろいのは、この伐採権が排他的に相続できないこと。持ち主が死んでも権利はそのままで、子孫全員が利用権をもちます。ある人が伐採権を持っていたとすると、その子供も伐採権を行使できる。またその子供も伐採できる。その子供も|というように、年月が経てば経つほど、ネズミ算式に利用者が拡大します。だから四世代もたてば事実上、村人全員の共有林になってしまう。
――それこそ、乱伐が行われそうな気がするのですが?
平田助手 村の共有になってしまうと、もはや私利私欲のために木を切れない。松も残りわずかなので伐採権は自然消滅。すると頃合いを見計らって、村の年長者が「あの森を取得したい」、と宣言をします。酒や肉を振る舞って村人の同意を得る。そうやって再度、森は個人名で所有されます。新しい所有者は森が復活するまで二十年から三十年ほど待ち、少数の人で森を利用し始める。これが森の再生と利用のシステムです。
――森の利用と再生がきちん管理されているということですね。
平田助手 そうですね。森を所有できるのは、村から認められた、経験豊かな年長者だけです。だれが森を育てるか、その人選は集落共同体に委ねられています。森を無計画に切り開くような人物は村での信頼を得られない。逆に森を所有すると自分が死んだ後も名前が残りますし、村の信頼を得た証拠ですから一種のステータスです。カリンガの村では個人の尊厳や欲望と土地所有システム、森の再生というエコロジカルなシステムが見事に調和している。だからこそ、森を持続的に使うことができたのだと思います。
――そうやって森を見ると、また違った風景が広がりますね。
平田助手 森や棚田がきちんと維持されているということは、その村の社会がとてもうまく運営されているということの証です。村に住んでしばらくすると、森を見ればその持ち主の名前が思い浮かぶようになる。その人の人生と森や棚田が重なってみえてくる。これはなんだかとても不思議です。40キロの薪を担いで運ぶ労力、棚田を維持する労力、森を守る知恵を知れば、もう圧巻ですね。言葉にならない。とても大きな、村をつくってきた歴史というか人の営みというか、そういったものの中に自分がいることを感じられるようになります。次回はカリンガ族が築き上げた壮大な景観、棚田についてお話ししたいと思います。