「文化としての住まい」-05_特異点としての聖樹

フィリピン・カリンガ族は、棚田を造ることで野生を文化に変換し、大胆に環境を作り替えてきた。そんな人工的な空間である集落に、なぜか野生の樹木が一本だけ残されている。これは何を意味するのか? 和歌山大学システム工学部環境システム学科の平田隆行助手はこの聖樹にカリンガ族の環境に対する考え方が垣間見えるという。集落の形の謎とともに、平田助手に話を聞く。
集落から見た聖樹パパッタヤン_聖樹の他に野生の樹木は皆無


ーーカリンガ族が住んでいる集落はどのような所ですか?
平田助手 滞在していた村では、標高1,200メートルの斜面に、100世帯500人ほどが暮らしています。国道から山を登り、集落まであと30分という所まで来ると、谷の向こう側から子どもの笑い声が聞こえてくる。鶏の鳴き声、米を搗く音が聞こえ、屋根からのぼる煙がうっすらと見える。人間の世界に来たな、と実感する瞬間です。ほっとした気持ちになりますね。山奥の静かな村というよりは、生活の息づかいが響く村だと思います。
ーー集落は棚田の跡地にできるのですよね?
平田助手 そうでしたね。住まいが建っている場所のほとんどは棚田であった場所です。棚田をつぶしてはじめてその上に家を建てることができる。一枚の棚田跡に3軒から15軒ほどの家が寄り添って建ち並び、同じような棚田跡が十数枚集まって集落が形成されます。畦は決して壊さないので、住まいが建っている敷地は棚田のかたちそのまま。そこに家が建ち並びます。
ーー家が寄り添って建っているのは平地が少ないからですか?
平田助手 確かに一つは土地がないからです。生産力のある農地を宅地に変えるのはもったいないから、あまりやらない。もうひとつの理由は土地の所有方法です。棚田の跡地は親族の共有で、道もなければ一軒一軒の境界もありません。共有地ですから、スキさえあれば建物を建ててしまいます。誰でも、どこでも通り抜けることができるので、隣の家の軒先をくぐり抜けて自分の家に入るのもごく普通。もうこれ以上建てられない、という所まで行くと新たに棚田をつぶします。村に一歩踏み込めば、密集した下町や漁村のような景観が展開します。写真の集落はまだ余裕がありますが、他の集落はどこも小さな家が所狭しと並んでいますね。
ーーそれでは陽当たりや風通しが悪いのでは?
平田助手 そうですね。住まいは夜を過ごすためのものなので、陽当たりはあまり気にしないのでしょう。ガラス窓があれば別ですが、板壁で密閉された住まいなので陽当たりも通風もさほど気にしないようです。
ーー庭を設けたり植栽をしたりはしないのでしょうか?
平田助手 それほど家が建て込んでなければ、家の前にちょっとした広場を確保することはあります。儀礼の時にはそこでみんなで踊り、歌い、食べる。そのためのスペースです。周辺の斜面地にコーヒーやグァバの木を植えるようになりましたが、これは近年の習慣のようですね。かつては一本も木が生えてなかったということですし、今でも野生の樹木は切り倒すのが普通です。山奥の集落だから自然が豊かだろうと思われるかもしれないけれども、周囲は徹底的に人工的な世界です。しかし、ただ、一カ所だけ野生が残っている場所があります。それはパパッタヤンと呼ばれる一本の木です。集落全体を見下ろす場所にあって、重要な儀礼の舞台となる、信仰の対象となっている樹木です。これだけはどうしても野生の、自生の木でなくてはなりません。
ーーなぜ、聖樹だけは自然の樹木として残すのでしょうか?
平田助手 カリンガ族は山を焼くことで野生の世界を外に押しやり、棚田を造ることで人工・文化の世界を内側に造ってきました。でもこの人工的な集落の中心に、なぜかまた野生がある。この矛盾がカリンガ族の集落の奥深いところだと思います。この聖樹はまさに、人工の中にある野生であり、集落の中にある外部です。いわゆる特異点なのでしょう。だから聖樹パパッタヤンのある場所が儀礼の場所になり、精霊が住む場所になる。私にはこの聖樹という特異点があるからこそ、村人が集落に住み続けることができたのではないかと考えています。人工の世界だけでは決して解決できない矛盾や膿みのようなものを、この特異点からガス抜きをしていたのではないか、人工の世界だけでは、どうしても環境に根づくことの出来ない部分を、この特異点を使うことで根づかせているのではないか?と。さて、次回はカリンガ族の住まいついてお話ししたいと思います。

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