建築ジャーナル、2006年2月号に書いた原稿です。
アップするのをすっかり忘れていました。
実は、今、7月号の原稿を書いていて、思い出しました。
7月号では田辺市立東陽中学校と橋本市立高野口小学校のことを書いています。
「着地できない明治建築」
一乗閣とは明治30年に建てられた旧和歌山県議事堂のことで、移築によってかろうじて戦災を逃れ、現在は根来寺に移築・保存されている県指定文化財である。1500平米を超える大規模な木造建築で、両翼をもつシンメトリーな洋風建築のプランでありながら和風の外観となっている。木造トラスのすぐ下に折上格天井をはるなど、技術と平面は西洋から、意匠は寺社建築から引用している点が興味深い。議場は講堂かむしろ芝居小屋に近く、近代技術や民主主義がどのように地方に受け入れられたかを語る生証人のような建物である。この一乗閣、建物の保存活用が決まり、市民からの募金を得て同じ敷地の別の場所に移築・改修することになった。しかし移築先に埋蔵文化があることから、歴史・考古学の分野から移転用地の変更要望が出され動向が注目されている。
一乗閣が示唆するのは、いったん行政が手放し民に下った建物が時を経て歴史的価値を増したとき、どのようにして公共財に戻すのか?という問題である。国の有形登録文化財、県指定文化財になってはいるものの民有地に建っていることは変わらず、行政が買い上げて移築するだけの財政も用地もない。一乗閣が本来の場所から離れて70年近く経った今、この建物が着地する「公共的な敷地」を造れるかどうかがいま、問われている。明治建築のこころざしを受けとるだけの器が地域にあるかどうかと言い換えられるかもしれない。
平田隆行@和歌山大学システム工学部
「一乗閣」 Poly-tanked cosmos