和歌山大・大阪市立大・嵯峨芸術大・神戸芸工大・東京工業大での合同建築ワークショップ(いわば、地域のシャレットデザイン)が、幸家太郎さん(幸家太郎建築建築研究所)、ジン・ヨハネス(建築家)さん主宰で、和歌山・串本で行なわれた。2004年は広島・加計町、2005年は奈良・天川村で行なわれたものだ。
今回は二回目、ジュアラーとして参加。前々回の広島では中間チェックとジュアラーだったけど、今回は完全にいちジュアラーとして参加。つい最近までつくる側にいたのになー、と思いながらコメント。なんだか寂しいネ。
ジュアラーは、幸家さん、ジンさんに加えて、藤木庸介(嵯峨芸)先生、横山俊祐(大阪市大)先生、などなど。
06’建築合同workshop@紀伊大島
今回の合同ワークショップは、幸家先生、ジン先生による「Mapping」と「Holding」のレクチャーの効果が色濃く残るものだった。
まず、「Mapping」とは、現地や地形から得られる様々な情報をMapに落とし込みむこと、さらに発展させてそのMapを反転させたり重ねたり回転させたりという図像学的操作(オペレーション)を加え、解釈を導く、という点にあった。(正確にはわからないが、今回の成果からはそのように理解した。)多分、それは風水的な「地勢の読み」から建物を考えるという視点だろう。
「Folding」ってのはよくわかんなかった。断面図を平面図として読んだり、折り畳んだり、珊瑚のカケラを転がしてその軌跡から形を考えるという手法を用いたグループがあり、そこから類推出来なくもないが、誰かちゃんと教えて。
で、出来たものは、いろいろあって楽しい。
こんなプロセスで建築つくったらアカンやろ、もっと大切なことあるやんけ、という批判はしないことにする。それは野暮というもんだ。正解を求めているわけではないこと、稚拙であれ、自分なりの方法論と直感をもってあるフィールドに対峙し、それに形をあたえるという、建築的ハッタリが結構重要であるからだ。(時間が短いからね)
偶然性の導入やらゲームの導入やらで形を導き出すプロセスをアピールしたチームが多かった。それはわからなくもないけど、形を「導いた」の根拠は、どうでもいい。重要なのは、その形がその場所に相応しいものになっているのかどうか、しかない。デザインって、そのものが、本来あるべき形をあたえてあげる作業である。その形をどうひねくり出したか、なにからインスピレーションを得たかはどうでもいい。ただ、出来たものがいいかどうかしかない。
この話は「建築計画」の原稿でも触れている通り。形を導き出す理論を使うかどうかはその都度判断すればいい。うまくいくなら使えばいいし、悪いなら使わなければいい。
で、ちょっと気になったのは、手法によって出来てきた形、その見慣れない形をどう「読む」のか、その能力が問われる、ということだったとおもう。
形はジャンジャン出てくる。その形からどうやって機能やら魅力やらシンボルやらを見つけ出すのか、ってのが案外重要なんだね、ということ。形は出てきても、それを読み、適材適所で旨く使えるかどうか。ようは出てきた形を魅力的に使っていく、という視点なんだとおもう。
なお、言い忘れてたけどスケールがとても気になった。Mappingにしてもなんにしても縮尺という概念がないままにカタチが適応されていく。珊瑚を回転させて形を作ったのはいい。だが、それを1:100の図面にそのまま描くのはいいことか? フィールド・現場で考えることと、ラボで図面上で考えることの乖離が、スケールという点で特に気になった。