5時半起床。6時半には大学に。
雑務を行ない、設計製図では提出日で、また一斉清掃。さらに建築と震災についての講義(本多先生40分+ヒラタ20分)
講義というよりは震災で何が起こったのか?を解説。震災直後の写真をたくさんとっていたので、それを解説。話し始めると熱が入る。ポイントは
◇建築構造
・メンテされていない木造は弱い(メンテしてたら大丈夫)
・が、木造は潰れても案外人は死なない
・しかし、火事が起こるとヤバい
・1982年以降の建物は大丈夫
・RCは潰れると結構やっかい
◇社会
・潰れたときは、近所の人が「あすこに人が埋まっている」と知っていてくれないと助けられない。
・地震直後は不思議な雰囲気が漂っていた。
・高齢者などの社会的弱者が被害を受ける。
・復興期には階層による格差が歴然とする。
などなどなど・・たくさんあってかけない・・・
復興時に提案してきたことなども写真を用意していたけど、時間切れ。
また今度ね。
1630、林田先生の研究概要を大ゼミで聴く。
わかりやすく言うと「都市でのサラリーマンの場所構築」
林田先生自身が都市の中でリーマンをしながら感じたことを、アンケートを行って実証していった研究だと感じた。
人文地理学や都市社会学における「場所性」の議論を応用したものだった。
D・カンター、E・レルフ、Y・トゥアン、D・ハイデン、ルフェーブル、リンチ、メルロ・ポンティ、多木浩二、シュルツ、などが連想される。
方法論としてはアンケートを行ない、それをKJ法によって分類したり、発話によっての分類、スケッチの分析や、Mappingである。
方法論としてかなりしっかりと理論化されていると感じたが、同時に場所性を論文化するときの難しさに同情せざるを得ない。
ただ、私だったら「写真投影法」を写メールで行なったり、イメージマップ法からアプローチするだろうな・・と何となく違いを感じた。アンケートを行なうのも、受けるのも嫌いだから。
かなり面倒な質問を浴びせてしまったが、それは、
・現在都市の中での場所構築は、
1:第三空間(磯村英一)として自分の感性とリンクする場所(と仲間)を見つける(選択する)こと
2:第四空間(宮台真司)として、「〜としての私」から開放された、群衆・無名性のなかに身をおいて「ほっとする」場所
この2種があるとおもっていて、前者は「感性の選択的共同体」に、後者は「アノニマス性」に直結し、それが都市の中での居場所となるのではないか・・・と。
とっておきの「オキニの店」と「マクド」みたいなもんかな。(ちょっとちゃうか?)