「近代建築」卒業設計特集号・羽山恭平作品「場の転生」推薦の言葉

ことしの和大の卒業設計のトップは,羽山君。
惜しくも2着に野津君。加納,神田がベスト4ではあるが,それ以下もあまり大きな差はつかなかった。ただ,男女差が結構大きかったかな。
さて,近代建築の卒計特集号の「推薦の言葉」


「近代建築」卒業設計特集号・羽山恭平作品「場の転生」
■推薦のことば
和歌山大学システム工学部環境システム学科助教 平田隆行
阿尾はおよそ100年の周期で南海・東南海地震の津波に見舞われている紀伊半島の漁村集落である。100年の周期は人の一生より少し長い。だからちょうど津波体験者がいなくなり,災害の記憶が失われた頃に次の津波が襲う。かつて津波に襲われた時,人々は次の津波のことまで考えて村を再建したわけではなかった。むしろ,次の津波のことを考えなかったからこそ,人々は同じ場所に住み続けることが出来たのかもしれない。しかし,この次はそうはいかない。今でさえ,水産資源が枯渇し,高齢化が進み,若者は町へ流出している。自治体からは想定被害とハザードマップが告知されている。未来は決して明るくはない。そこへ津波が襲ったとき,100年ごとに津波が襲う村を,村人は復興しようと立ち上がることが出来るだろうか?
このような場所で羽山君が取り組んだのは,日常の生活の中に津波の存在を当たり前のこととして埋め込むことであった。そして集落空間がこの100年の周期を使って成長する仕組みをデザインすることであった。
羽山君らのチームは,過去に襲った津波被害を聞き取り,いざというとき助けるべき人がどこにいるのかを調べ上げ,それを集落図の上に落とした。災害後に集落に住まい,生きていくための情報を冊子にし,集落全戸に配布した。それらの情報を村の祭祀や社会組織の一部に組み入れることで,災害の存在を,世代を超えて継承させる仕組みを提案した。さらに,具体的な空間の仕組みとして提案したのがこの卒業設計である。
この計画は,海という豊かさと津波というリスクに対し,どのような折り合いを付け,どのように住まうのか,あるいは生きるのか,という矛盾の構造に解答を示そうという試みである。一見,カタストロフィに見える悲惨な現場模型も,それが再生への始動であること、そしてそれが100年のサイクルで周期的に行われるという点に,単なる災害復興計画とは一線を画するこの作品の深さがある。

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