阪神大震災15年。やはり夜明け前に目が覚める。不思議だなぁ。
写真は、当日午前、神戸市灘区の宮前商店街。自宅兼店舗が燃えていくのを見守る住人。
毛皮のコートを着ているけれど、その下はおそらく、パジャマ。
震災の時に、毛皮のコートを着るなんて場違いだと思うかもしれないが、家が燃え始めたとき、持てるものを身につけて外に出たのだと思う。そのとき、お気に入りのコートと帽子が手元にあったのだろう。
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この商店街では、その後、消防車のホースが来た。まわりに居る人で、ホースをのばした。が、10分経っても水が来ない。
結局、ホースはたたまれ、住宅は燃えつづけた。
これもたしか、宮前商店街。近所でお年寄りのケアをしている。こういう風景がそこかしこに展開していた。
こちらは、灘区内の国道二号線。
寝たきりの老人をなんとかしようと、原付に座らせて、毛布でくるむ。
なぜ二号線の国道沿いで?と思われるかも知れない。
住宅地の道路は、建物が倒壊し、電柱が道を塞いでいて車両が中に入れない。車で運んでもらうには、大きな車道に出るほか無い。多分、この老人は救助の車両を待っているのだろう。
とはいえ、救助の車がいつくるかなんてわからない。だから、こうやって目立つところに、暖かい格好をさせて座らせているのだろう。
さて、
ほんの4日前にはハイチで大地震があったが、現地twitterでアップされた写真を見ていたら、阪神大震災のことが強く思い出されて、ハイチに重なる。5分後にはNGO団体に寄付。ネットは便利だ。今回は国際NGOプランに送金。私は助けにいけないけれど、そのかわり助けにいける人に託す。NGOに寄付するのが一番効果的だろうと思うからそうする。
地震のおこる場所によっては、全然報道がされないこともある。マグニチュード8を超えても、人が住んでいなければ報道はされない。人が住んでいても、記者がなければ報道されない。記者が現地に入れなければ、報道はない。
今回のハイチ地震では、携帯のネットワークは生きていたようだ。twitterで現地の声がそのまま発信され、それが駆け巡った。災害と報道の問題が、また別の次元に入っているのだろう。
このことによって、長い間、被災地が注目されればいいように思う。
いま、twitterでは、ハッシュタグ#19950117をつけた投稿があふれている。たくさんの被災経験者が、その被災体験をつぶやいている。