和歌山市・新市民会館について

2016年11月12日、和歌山市の新市民会館のシンポジウムがあり、パネリストとして参加してきました。

新市民会館は、伏虎(ふっこ)中学校の跡地に計画されており、プロポーザルによって設計が決まっていました。現在「基本計画」を策定する段階です。

私の発言の持ち時間は3分+1分程度の予定で、いただいたお題は、市民会館に期待する住民参加のまちづくり、でした。準備期間はあまりなかったのですが、和歌山市に住んでいますから、それなりに興味を持ってはいました。その問題に向き合ってきた方々も存じ上げていますし、また、地方都市の数十億円のプロジェクトですから、いろいろかんがえるところはあります。

今回は自己規制はやめて、割とストレートに発言しました。私の発言の主旨を記しておきます。

1:極めて重要な意味を持つ場所

和歌山城の正面、けやき通り(和歌山の目抜き通り)に面し、ぶらくり丁(最大商店街)近傍、市役所隣、大型ホテルの隣、という条件です。東京で言えば、半蔵門前と有楽町前を合わせたような場所。そこに残されたとても大きな公有地です。だからこの計画は、和歌山市の中心市街地のまちづくりの方向性を示す、重大な意味を持ちます。市役所、移転してくるという県立医大薬学部、和歌山城、商店街などと連動した、長期的な地区計画として、考えつづけていくべき場所です。このことは何度でも確認すべきです。

2:プロセスと継続が大切

どのようなものになるとしても、これだけの場所ですから、それなりのプロセスを経ることが大切だと思います。特に卒業生が沢山いる学校の跡地です。その意味で、市民会館をここに移転する、という方針は少し唐突だったと思います。もう少し議論を尽くすべきだったと。(ちなみに、私は2年前に和歌山市の長期総合計画の委員でしたが・・・、あれ?という感じを持ちました) ただ、いくつかの市民が、伏虎中学校跡地の使い方を議論し、問題提起していたことは注目すべきです。
伏虎中学校跡地に市民会館を建てると決まったとしても、街として目指す方向は今後も議論し続けていくことは変わりありません。「街として目指す方向」の議論が、今回のホール、特に外構計画や主要動線の計画に影響を与えることは、まだ十分に可能だと思います。「何やっても無駄」という「諦め」にしてしまってはいけない、と強く感じます。(例えば、足元がオープンで、雨が当たらず、ガラス面ならば、ストリートダンサーが集まると思います)

3:どのようなホールとするのか?(ホールのコンセプト)

現時点ではホールのコンセプトが不明確です。グローバルな音楽家を招聘するホールなのか、それとも自分たちが演奏できるホールなのか。それ以前に、音楽専門ホールなのか、多目的なのかもはっきりしません。これが不明なまま建物の設計が先行してしまっています。どういうホールを作るのか、このコンセプトを方向付け、それを実行するのが誰なのか、それも不明です。(兵庫県芸術文化センターの藤村副館長によると、兵庫県芸術文化センターでは、早々に佐渡裕さんを芸術監督に据え、ホールの設計段階から関わったそうです。)

(ここからは、会場での発言ではありませんが)
ホールのコンセプトが不明のまま、「住民」の雑多な要望をできるだけ取り入れて設計する、というのでは良いものはできないように感じます。また「コンセプトを決めること」そのものを設計事務所に投げてしまっているとすれば、それはもっと大きな問題だと感じています。議論を尽くし、ある時点で決断すべきでしょう。
グローバルな演奏者を招くような音楽専用ホールとするのであれば、兵庫県芸術文化センターのように、プロデュースとマネージの体制を作ってから、ホールの設計に取りかかるべきではないかと考えます。
コミュニティの発表、表現、交流と創造の場所、としてのホールなのであれば、まさに「主役」となる市民の使い方を中心に、設計を進めることになるかと思います。その時、設計者に「こうやって使うのだ」と市民が言える機会を作って行くべきではないかと考えます。

4:外観含め、建物のデザインは、そのあと、で良いと思います。ドレス着て行くようなホールなのかどうかで、ずいぶん違ってくるはずですから。

 

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