先週、日本建築学会近畿支部の高専・専門学校卒業設計コンクールの審査を行なった。
委員長は浦辺設計の西村清是先生。ほかに高松伸先生や角野幸博先生など。
さて、昨年もこの審査員を務めて、ちょっと難しい作品の講評を書いた。
作品が難しいというのではなく、どう評価すべきかがとても難しい作品だった。とても高い評価をあたえたいが、そんな作品が続いてしまうのは本意ではない。そんな作品だった。
さて、その時の講評文。かなり頑張って書いた気がする。
__________________________
『岸田鐘河記念美術館』
大野 隆 さん(大阪工業技術専門学校)
この作品は、ある画家のための美術館を構想する、という物語が書かれた「書物」である。彼はこの「書物」を読ませることで、読者の頭の中にある特殊な場所を立ち上げようとする。それが彼の言う「建築」なのだという。
一切のスケールもなく、まともな図面もほとんどない。だが読者が「なんとなく」想像できる歴史性や身体感覚が巧みにちりばめられ、あたかも夢を見ているように物語はすすむ。そして読者はその夢の中の空間をさまよい、自分で勝手に補強して場所をつくりあげてしまう。
この作品が優れている点は、近代建築が抑圧・抹殺し続けてきた「場所性」を執拗に追い求め、「場所性」を消し去るいかなる近代設計手法・空間表現方法をも否定しているという批評性である。そして非常に手が込んでおり、実際に読者に場所性を想像させることに成功しているという点である。ただ、少しだけ辛口に感想を言えば、すでに場所性を喚起することが証明されている村上春樹のボキャブラリーに頼りすぎている。そしてなにより、人々は実際の空間の経験を通して場所性を育ていくものであるし、そういった空間の経験が可能となる現実をつくることこそ「建築」と呼ぶべきだとおもう。
この作品を評価するかしないかは、何を持って卒業設計とするのか、何を持って建築と呼ぶかという深い問題に関わってしまう。ただ、この作品が射程とする世界を全く無視するわけにいかないことだけは確かだし、作者が非常に高い問題意識を持って建築を考えているという点は疑いない。(平田)
__________________________
で、今年のある作品が、この講評に応えてくれた作品だったように思う。偶然かもしれないけど、批評することの意義を感じられたように思った。ということで、大変だけど、また講評を書くことに。
でもやっぱ、大変だ。卒業設計にかけたエネルギーと、課題の難しさを痛感すると、そんなに簡単には書けやしない。
(公式に発表があった後に内容をアップするかもしれません。)