もう、すごいことに!

Butbut Proper village 2007, Tinglayan, Kalinga, Philippines
フィリピンから帰国。
村は遠い。
ニューヨークを10だとすると、200くらいの距離感。
時間的に3倍かかり、体力消費的に50倍かかる。ただ金銭消費的には1/2だけれど。
いつものことだけれども20キロの荷物(大半が機材)を担いで山道を登っているときには、もうダメだと思ってしまう。
で、例のごとくボロボロになって村までたどり着いてみると、
もうそれはすごいことに。
村は一変していたのだった。


2005年の10月に電話がかかってきて、携帯が使えるらしい、ってことで驚愕。
その経緯は、ここに書いた通り。
ホストファミリーで友人かつ先輩かつインフォーマントのアンボイが「すっかり変わった、一度見に来い」と強く誘い、また追調査の必要もあったため、休みを全部つぶして来たのである。
ビビった。
村の風景が一変していたのだから。
村に車が入れる道が通り、電線が村に到達し、4割の家庭が電化。
伝統住居はほとんど全滅。集落内部を車道が通っているため、昔がどうだったのかわからない場所さえある。
1996年秋の調査開始から10年、集落は私の予想を遥かに上回るスピードで変化した。
そしてそれは、国道沿いの集落と同じような、どこにでもあるようなフィリピンの一農村の風景に限りなく近づいていたのである。
集落内部の景観。電柱とトタン屋根。
最後に村を訪れたのは2001年。6年でこれほど変わるとは。
この風景を見たときの驚きは、
自分自身がこの村に、「近代化から距離を置く僻地の村」というイメージと期待を知らず知らずのうちに重ねていたのだなぁ、ということを思い知らせてくれた。
(で、この「げ!なんやこれは!」という驚きは、3日もすると、今度はこの「変化」ってなんだろう?、何が起こっているのだろう?という興味と新たな研究テーマに変わる。)

もう、すごいことに!」への5件のフィードバック

  1. お久しぶり!
    コメントにURL乗ってたので飛んで来ました。
    正直ショックというか来るべき時が来たなぁという感じ。
    50年経っても変わらないと思ってたあの村に国道とは…
    あの村に入ってからずっと持ち続けているジレンマなんだけど、文明化されてく現実と一方でそれを望む人々。非文明化社会を素晴らしいと思う自分。
    寂しいと感じるのは自分のエゴなんだろうかとふと感じます。
    トタン屋根が並ぶ光景はGuinaang村を思わせる風景です。
    豚小屋も出来つつあるんだろうか?
    Bontoc周辺の村のライフスタイル半径が広がりつつあるんだなぁと感じました。
    八角形の家屋も無くなったとの事。
    もし保存する時に費用が必要だったら声をかけて下さい。
    では、また覗きにきます〜。

  2. akanemどの、
    この春はなにより、あなたを祝わねば!
    そこで飲むのです(笑)。
    1月、2月、3月、
    いつがよろしい?

  3. こんにちは。
    すごい話はまだまだ続きます。
    電力はすごいよー。
    シルバーの屋根は、ガルバではなく、いわゆるトタン(亜鉛めっき鋼板)です。だから数年で錆びますね。錆びるとかなり馴染みます。
    10年前は、4割が茅屋根。いまや95%がトタン屋根。
    電柱・電線はカワイイけどパワフル。あのサイズの電柱で谷を超えて300mもの距離のケーブルを飛ばします。

  4. う〜む、電気の力ってすごいなぁ。
    真新しいシルバーの屋根はガルバリウムでしょうかね〜。
    妻の実家も元茅葺き屋根の家が今は皆そんな感じです。
    ただ、hiraさんのように6年前の風景を知らずに見てしまうと、電線がカワイイな〜なんてつい思ってしまいます(汗)

  5. 今年もよろしくお願いします。
    またその詳しいお話聞きたいです。
    また、こっちで飲みましょう。

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