雑誌「近代建築」、卒業設計のコメント

今年も和歌山大の代表の「推薦のことば」を書く。
学生の渾身の作品に十分応えられればよいのだけど、と思いながら書いています。
(やっぱ好きなんでしょうね、卒業設計。)
書く時に注意しているのは、卒業設計の提案を社会の中に位置づけること。
この設計提案が社会にとってどんな意義があるのか、を説明することです。
大抵は、個別の敷地に個別の解答を与えている作品なので、それをもう一度社会に差し戻すのが役割だと思っています。
さて、今年は、和大最優秀賞の山本(恭)くんを評した。


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「近代建築」卒業設計特集号・山本恭史作品「下手地をひらく」
推薦のことば:和歌山大学システム工学部環境システム学科助手 平田隆行
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地方都市の駅前には絶望的な風景が広がっている。
シャッター降りっぱなしの商店街に、ケバケバしい消費者金融の看板。「活性化」と書かれたスローガンは、はやくここから逃げ出さなければと焦燥感すらかき立てている。
ふつう、駅前活性化といえば大規模商業施設を「再開発」で建てることだ。手っ取り早く更地にして「東京ミッドタウン的」開発をすれば良い。しかし、右肩上がりの成長を前提とする「再開発モデル」が負け組トップたる地方中心市街地で成り立つと言い張るのはお気楽過ぎる。だからこんな敷地には手を出さない、というのは今や常識だ。
しかし、この見捨てられた場所を「ラッキー」とばかりに嬉々として取り組むヤツが現れた。
彼はこの風景を否定も肯定もしなかった。アコムの看板から裏びれた雑居ビルまで、今ある状況を「自然」とみなし、「土地条件」にしてしまった。次に非定型家族の住まいをゲリラ的に寄生させる。不整形な土地ではあるが、世の中には多様な人間がいて多様な住まい方がある。ライフスタイルとのマッチングをうまくしてやれば悪条件はたちどころに大逆転。そうやってつぎつぎに土地を読み、場所をつくり、与えていく。このようにして駅前は徹底的に開かれ、丁寧にハックされていった。そうして極めて先鋭で凶暴でありながら現実的かつヒューマンな空間が生み出されていった。
「勝ち組」の選別ではなく、多様な生き方が包摂される街。スクラップ&ビルドではなく、なし崩し的進行。パワーエリートの「ヒルズ的」開発とは対極的な都市開発のあり方がここでは提示されている。都市空間の魅力とは高さではなく濃密さであり、表層ではなく奥深さであり、ブランドではなく人格であったことを思い出させてくれる。
さびれた街に入り込み寄生した構造物は、いずれ街を規定し支える側、つまり街の骨格へと変わるだろう。荒涼とした敷地に対峙し、ひたすらその場所で考え、突破できた山本恭史君。今後の大成を期待したい。

雑誌「近代建築」、卒業設計のコメント」への2件のフィードバック

  1. ども。
    いまのところはあまり感じられないかな。
    一番の違いは、学生が授業に対して真面目なこと。設計製図の出席率が95%を超えるし、教官の言うことをものそのまま実行するところ。
    私が学生だった時には、「この先生の授業を聴くのは時間の無駄、図書館で本を読む方がなんぼかマシ」という判断は普通だった。もちろん、自己責任で、ですよ。
    今はそういう感じはないなぁ。ある意味従順。言い方を変えると自分で考えて行動しない、っちゅうことか。
    うちのゼミに限った話をすれば、あまり変わっていないともいえる。(授業の出席率はあまり高くないけれども。)集中力も根性もあるし、アウトプットの質にこだわりがある。敷地に即して考えることもできる。実行力はたいしたもの。プレゼンもまぁ、OK。
    ただ、本を読まない。そして語彙が貧弱ってのは共通しているかな。

  2. そろそろゆとり教育の世代が大学を卒業する頃かなというイメージがあるのですが、その影響って卒業設計にありますか?

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