この住宅、1953年に和歌山県中部を襲った、7.18水害(ニッパチ水害、紀州大水害とも言われる)の復興公営住宅です。
ただ、復興公営住宅だったのは、青くペンキ塗りされたセメント瓦の部分のみで、その後大きく拡張され、今では周辺の民家と同じような佇まいになっています。
おもしろいでしょ?
復興公営住宅として建てられた時には、8.5坪の住宅で、4畳半と6畳の和室に、トイレと台所の構成。ユニットバスをつけると現在の仮設住宅とほぼ同じ。居住者の所有する土地に多くが建てられ、後に居住者に買い取られて所有権も移行している。それが、このように拡張して行ったのね。
これ、タイやフィリピン、インドネシアでの災害復興の住宅「コアハウス」と呼ばれる考え方とそっくりである。「コアハウス」とは、最低必要な住宅を政府が供給し、居住者が徐々に建て増していくことで、住宅を復興させるという考え方です。日本の仮設住宅は使い捨てだけど、「コアハウス」は恒久住宅の「コア」として使い続けられるわけです。
この「コアハウス」は、阪神淡路大震災の時に在席していた研究室(神大重村研)でも提案していた復興住宅のパタンでした。それが、身近に存在してたのですね。しかも、ほぼ60年も成熟したものがあったと。驚きました。
この、災害復興住宅は、我が研究室4年生の高山くんが卒論テーマとして取り組んでおります。近く、成果を発表できると思います。