デザインとコミュニケーション

和大の大学院はシステム工学部の学科の枠を超えた”クラスタ”で構成されていて、たとえば”デザイン科学クラスタ”は、建築・都市計画、システム工学(データベース情報工学)、情報デザインなんかで構成されている。
基本「ごった煮」だから、「アーキテクチャ」や「環境」、「プロトコル」という用語は全く違う意味に受け取られてしまう。それが新鮮でもあり、また誤解を生むところでもある。
建築系から思うに、建築も都市計画も個別解アプローチ、工業デザインや情報工学は基本的にマス・プロダクツに対するアプローチだということを痛感する。これだけでも随分と考え方が違ってくる。
さて、修士論文公聴会では、根本的なデザインの考え方の相違を垣間みた気がする。何かと言うと・・・・


発表のひとつに、Webを介してデザイン作業を行うシステムの研究があった。php+sqlで組んだマネージメントシステムに、デザイン作業の履歴をのこし、それを共有することで、コラボレーションが進むと言う。面白そうな話ですよね?
でも、私はそれがうまく行くとは思わない。
集団でモノをつくる時ってのは、コミュニケーションが必要で、それは情報を共有する段階、感情を共有する段階、この二つがあるとおもう(齋藤孝的)。 感情を共有する、というのは「信頼感」の共有といってもいい。ある程度の信頼を構築した後には、もう、黙って作業しあっても平気で、情報交換はそんなに必要なくなる。そうなるとむしろ信頼が切れないように、空気とリズムを共有することが重要になってくる。
情報共有はwebで効率よく済ませてしまおう。このことはとても良いことだと思う。
けれども、それだけでは感情コミュニケーションが欠落する。とんでもない誤解や、意見の相違が、工程の後の段階に起ってしまう気がする。テキストベースのコミュニケーションだと、どうしても誤解やすれ違いが生じがちで、余程の文章表現能力がないと感情をうまく伝えられないし、誤解を恐れるが故に、概してありきたりで保守的な表現の繰り返しにしかならない。(2chのように。) webによるコミュニケーションで、感情や信頼の交換に達するにははっきり言って効率が悪すぎる。
言いたいことは、webの情報技術は、情報をやり取りするためのコミュニケーションとしてはとても優れていて、効率的。わざわざ空間を共有せずとも、わざわざ遠隔に出向かなくともことが足りる。でも、なんでもかんでもwebでやるろうとするのが間違っている。webを使って効率化し、直接会った時に情報交換する時間を減らす。その分、感情の交換にまわす!! 感情交換をより有意義にするために、webのコミュニケーションがあるべきなのだと思う。

「みんな、ネットがコミュニケーションの革命だということを忘れてしまっている。ぼくにはこれが我慢ならない。」著者不明『ぼくの寝言」_「ネットコミュニティ通過の玉手箱」(2001) by 鈴木健より孫引き

これは、ネットがコミュニケーションの伝送路革新、などに終始するものではなく、
コミュニケーションの「質」そのものを変えうる革命だ、と言っている(のだとおもう)。
「これまでは直接会っていたものが、会わずに済みます」っていうのは、コミュニケーションの質を落とすだけで、単なる貧相な伝送路の代替にしかすぎない。

デザインとコミュニケーション」への1件のフィードバック

  1. ボクもwebを用いて、情報の交換をして、顔をあわせて感情の交換をするってのがとても効率がいいように思います。メールやチャットでもついつい相手の顔がみえなくって日常ではあり得ないようなコトバできついこといってしますときもありますよね。やっぱり感情は直接相手に顔を突き合わせて伝えるべきだ!と。

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