岩淵拓郎「言葉のある風景〜和歌の浦」

布引の松
美術家・岩淵拓郎さんとのコラボで行う、「言葉のある風景〜和歌の浦」
本日のワークショップは「大雨」で順延しますが、
プレで少しだけ行ないます。
次回、みなさんのご参加をおまちしています。
さて、以下は私の紹介文。


現在の和歌の浦の景観は一見、何の変哲も無い風景に思えるかもしれない。美しいというよりは、ちぐはぐ、混乱、混迷。
「名勝」「名所」として名を馳せた和歌の浦はもう失われてしまったのだろうか?
確かに海岸線は失われ河川はコンクリートで固められ、人家も増え、たくさんのビルが建ち並ぶようになった。名草山の姿はビルに遮られ、和歌川の水質は悪くなっている。もはや「名勝」ではないのだろうか?
そんなとき、NPO和歌の浦フォーラムの方々に「布引の松」の話を聞いた。豊臣秀吉が歌に詠んだ、とても大きな、伝説の松である。そして、いまはない松のことである。
その松の話を聞いているうちに、この松は、眺める対象ではなく風景を見せるためのきっかけだったのではないか、と思えるようになった。美しい風景は、その前後に広がっている。人は松を入り口にして、その松の背後に広がる風景を見ていたのではないか。「布引の松」は風景を「美しきもの」として感じさせるための「額縁」だったのではないか。松があることで、「風景」として見えていたのではないか。そう思うようになった。
今その松は無い。その風景を愛でることも無い。
ひょっとすると、松を失ったために、美しい風景を感じることを失っていたのではないか。
布引の地に、その松の痕跡が残っていると教わった。松が生えていた土地は世紀を経て、いまだ手つかずに保存されていたのである。
そこで私たちは気球を上げることにした。松がたっていた場所に、である。
いつもの風景を少しだけ変えてみる。風景の額縁だった松を、その場所に立ち上げてみるのである。そうすれば、私たちはもう一度、その風景を見つけ出すことができるのではないか?
一日だけ、「想像の松」を立ち上げる。それによって、どんな風景が立ち上がるのか、それを皆で感じる。そんなワークショップを考えた。
そう考えたとき、ひとりのアーチストのことを思い浮かべた。岩淵拓郎さんだ。
岩淵さんの作品は、作品そのものが鑑賞されるというよりはむしろ、作品があることによってその場所や時間を感じ味わうことが出来るという作品である。とくに「言葉」にこだわり、言葉の存在によって、「いま、ここ」の面白さを引き出す。
和歌を入り口にして風景を感じていた和歌の浦にとても相応しいものであるように感じたのである。
岩渕拓郎さんの作品、そして、かつて松が生えていた場所に上げられた気球。この二つによって和歌の浦の風景を再発見するアートプロジェクト。マンション高さ問題のようなけっしてネガティブな景観保全ではなく、風景を感じ、見いだすためのワークショップ。これが、「和歌の浦の景観アートプロジェクト 岩淵拓郎「言葉のある風景〜和歌の浦」である。
松を思い、風景を発見し、風景を詠むこころをとりもどす。
景観づくりとは、風景を詠むこころを育てるところからしか、はじまらないと、おもいます。
(7/24、一部回りくどい表現をシンプルにしました)

岩淵拓郎「言葉のある風景〜和歌の浦」」への2件のフィードバック

  1. 餘部鉄橋は近代化遺産として正しい評価の下に保全再生をするよう関係方面へ要望しています。新しい橋梁の建設とともに文化遺産として再生のけをあげていきたいと思います。ご支援、ご協力をお願いします。

  2. 池田宮彦設計の堺市民会館を建て替えてほしいという声を聞きました。現代の優れた建築を安易に解体しないで増築を考えながら再生すべきだと思います。

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