産経新聞「防災減災わかやま」の連載を担当することになりました。
和歌山大防災研究教育センターの特任准教授であった照本先生が担当されていたのですが、徳島大学へ赴任され、担当を引き継ぎました。2ヶ月に一度、掲載されます。1年程度の担当になるかと思います。
「防災減災わかやま」2013.4.30、産経新聞和歌山版掲載、和大システム工学部・平田隆行
年度末の3月28日、県のホームページに津波浸水予測図が公表されました。拡大すれば小学校などが判読できるほどの縮尺で、避難やまちづくりに直接役立つ情報です。この予測は2つあり、ひとつは100年に一度程度起きるとされるマグニチュード(Mw)8.7の「東海・東南海・南海三連動地震」のもの。もうひとつは1000年に一度程度起こるマグニチュード(Mw)9.1の「南海トラフ巨大地震」のものです。マグニチュード(Mw)9.1の巨大地震は、考えられる「最悪のケース」を想定したもので、浸水域はこれまでの倍以上、壊滅的ともいえる予測となっている地域もあります。
この想定を私たちはどのように受けとめたら良いのでしょうか? いますぐ高台に引っ越さなくてはならないのでしょうか?
そんなことはないと私は考えています。1000年に1度とは40世代住み続けて1回あるかどうかです。慣れ親しんだ街を離れ、借金をして高台に家を建てても、報われることは稀でしょう。一方、海辺や河口の街は浸水域ではあるものの、人やものが自ずと集まる便利な場所でメリットも大きい。1000年そこに住んだ場合のメリットと、1000年に一度、家を建て直すデメリットを比べれば、メリットの方が大きい場所がたくさんあります。そもそも家は100年ごとには建て直すのが一般的ですから、1000年かけて積み立てし、津波を機会に新しく建て直せば良いとも言えます。
ただし、命を落としたらそれまでです。死んでしまっては家を建て直すことも、街を復興させることも出来ません。浸水予測区域に住んでよいかどうかは、津波から逃げ切れるかどうかが条件となります。
このとき、思い出してほしいのが「津波てんでんこ」という言葉です。「人のことは構わず、バラバラに一時も早く高台へ逃げろ」という、非情とも言える言葉です。紀伊半島南部は震源からの距離が短く、地震後3分以内に津波が来る可能性があります。このような場所では自力で逃げられない人は置き去りにして「てんでんこ」に逃げなければなりません。
しかしそんな非情な行動がとれるのでしょうか。「今回は巨大ではない」と信じ込み、助けに行ってしまうのではないでしょうか。心を鬼にして逃げたとしても、その人は置き去りにしたことを一生抱えて生きていくことになります。自力で逃げられない人が津波の浸水域に住むことは、逃げ切れたはずの元気な人を巻き込み、大きな悲劇を生むことになるのです。
巨大地震の予測浸水域に住み続けるということは、自力で逃げ切ることが条件です。若く将来のある人達を巻き込まないようにしなくてはなりません。高台移転、高所移転とは、自力で逃げられなくなったとき、地域を背負っていくであろう若い人達を巻き添えにしなくて済む方法のひとつであると言えます。