産経新聞「防災減災わかやま」2013年6月 東北の復興が進まないのはなぜ?

公民館跡地につくられたかさ上げの高さを示すための現地確認場

名取市閖上の公民館跡地につくられたかさ上げの高さを示すための現地確認場

 

東日本大震災の発生から2年4ヶ月以上が経とうとしています。しかし、津波が襲った被災地に復興の気配は感じられません。仮設店舗の商店街や漁港に付属する水産施設ばかりで、震災前と同じように商店や住宅が建てられたというニュースはほとんど聞きません。1995年の阪神淡路大震災では、新しい住宅がどんどん建っていた時期でした。東北の復興はなぜ、これほど進まないのでしょうか?

復興スピードの違いは、津波に浸かった土地が建築基準法第39条の「災害危険区域」に指定されていることが要因のひとつです。「災害危険区域」に指定されると、たとえ自分の土地であっても住宅の建設ができません。そのため被災地は更地のままなのです。

「災害危険区域」の指定は、過去の苦い経験がもとになっています。三陸海岸は、明治、昭和の二度の大津波で壊滅的な被害を受けました。同じ被害を繰り返さないよう、多くの漁村が山へ集落を移しました。しかし、水道も自動車もなかった時代、漁業で生計を立てていた人々にとって浜から離れるのは不便だったのでしょう。震災後10年もすると海辺に住まう人たちが現れます。さらに震災後に豊漁が続き、津波を知らない他地域からの流入者が増えたことも一因でした。そうして海辺に集落が出来てしまいました。そこへ再度津波が襲ったのが今回の東日本大震災です。この教訓をもとに、浸水域に住めないよう法的に定めたのが「災害危険区域」の設定なのです。

浸水した地域には二度と住めないのか、というとそうではありません。津波が来ないように土地を改変すれば住むことができます。防潮堤を造って海を閉ざし、さらに津波より高く土地をかさ上げするのです。被災地ではその工事が始まったところです。ただし、この防潮堤とかさ上げは思った以上に強烈なものでした。高さ10mの防潮堤が必要な場合、津波に耐えるものとするには、およそ30メートルの幅が必要になります。小さな漁港では防潮堤だけで浜辺は占められてしまうでしょう。かさ上げも同様で、宮城県女川町では15mを超えるところがありますが、これは4階建てのビルに相当する高さになります。どちらにしても、海と共生してきたこれまでの街とは全く違う街になるのです。この巨大な計画を知った人々は動揺しました。海と寄り添って生きてきたもとの暮らしは、どれだけ頑張っても取り戻すことができないと知ったからです。

次に紀伊半島を津波が襲ったら、和歌山でも三陸と同じように浜を埋め、固く海を閉ざすことになるかもしれません。しかし、それでよいのでしょうか。幸運にもまだ津波は来ていません。海の恵みを受けとめながら住まう暮らしも残っています。今のうちに海に対峙しながら安全に住まう方法を見つけておけば、いざ被災した時に、スムーズに被災前の生活を取り戻せるのではないかと、私は考えています。

 

写真キャプション

公民館跡地につくられたかさ上げの高さを示すための現地確認場 横のラインは津波高さで、それを超える高さ(海抜5m)までかさ上げが予定されている。

 

 

(後記)
(記事では触れませんでしたが)、今後「津波防災まちづくり法」での警戒区域指定が大きく影響すると思います。特に、和歌山では浸水域が大きいため、影響も大きいと思われます。(和歌山県庁では具体的な指定はまだノープランだとのことでした。)

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