学部時代にリサーチペーパー(小論文)を書いた漁村を久方ぶりに訪れた。
合宿先から100Kmくらいだったからだ。
漁村を歩いて、昔、宿舎にしていた栗栖邸を訪れ、そこで長い間話をした。
住宅の話、村の話、村人の話、家族の話。
村はあまり変わっておらず、なんだか不思議な気分だった。相変わらず漁師の跡継ぎ問題があるようだが、かつては「40代が2人しかいない」と言っていたのが「50代は2人しかいない」に変わっていた。
生まれてはじめてフィールドに向き合ってものを考えたところだし、ここで苦労したけど空間を読むことの面白さを学んだのもここだなー。いま思えば割と読み込みにくいところだ。
いま広島合宿をしているけど、この場所にもやはり、何かしら思い入れをのこして、いつかまた足を運ぶことがあるのだろうな・・・人生は巡るっているわけだ。
はたしてかつての自分よりも幾分かはましになっているのだろうか?