「美しい景観とは?」建築士会大会2(和歌山)

22日は大会2日目。屋台店主として08:50に会場に到着(ギリギリ)。久々に睡眠満タン状態。簡単な店主アピールを行ない、SessionC「みんなで考える”ぶらくり丁”再生」へ。M2ミレイ氏がパネリストとして発表を行なっている。他にパネリストはUWU(インターネットラジオやっているところ)、など。
全体的にミレイ氏中心の議論!となった。
総合評価:★★★★(ためになった)


パネリストの話題提供に続いて和大経済の足立基治先生が司会を行ない、ディスカッション。
足立先生から3つの質問(記憶曖昧、間違っていたら教えてください。)
個人的な返答を書いときます。
Q1:ぶらくり丁の活性化は誰がのぞんでいるか?
A1:ぶらくり丁の衰退=和歌山の衰退、和歌山の活性=ぶらくり丁の活性、です。ぶらくり丁は和歌山市の象徴的な存在。だから、和歌山の活性を願う人はぶらくりの活性を願うと思います。
Q2:ぶらくり丁の活性化はどこが主体的に行なうのか?
A2:地元!つまりは商店。 だが、地元にそれだけの力がないから、NPOとか行政とか大学とかが「お手伝い」する。商店街なんだから各商店が切磋琢磨しないとダメ。
Q3:どんなまちづくり(もしくは景観)がのぞましいか?
A3: 会場で出た答えはどれもダメ。これは大きな声で言いたい! 私がマチや、ムラ、ケンチクを見る時の、根源的な視点です。(フィリピンの山中で悟った。)以下、宣言です。
■「美しい景観」とは?
景観とは、そこに住む人たちの「生活の質」が表れている。住民が自分たちの「生活の質」に誇りをもっていること。その「生活の質」を見て、「いいなぁ」と思えるものであること。それを感じられるものが「美しい景観」である。
私はフィリピン・カリンガ族の人たちのことをとても尊敬している。それは彼らの生活文化をじっくりと見て、その奥深さに心底驚き、その生活文化を尊敬しているからだ。だから当然、カリンガの生活文化に育ったカリンガのたちの意見や考え方にも一目置く。彼らの建築にも一目置く。すげぇな、と思う。
同様に沖縄各地、コザ、大阪生野、東京谷中・・・・でもそうだ。うまい飯、賑わい、生活の豊かさ、適度な「テーゲー」(いいかげん)感、時間の流れ方、音楽の楽しみ方・・・そういった生活文化をすげぇな、と思う。尊敬するわけだ。まちのつくり方にも一目置く。建築にも一目置く。
そういった「生活の質」が、ドッカーンと表現されちゃうのが「景観」です。
中途半端な地方都市の駅前の、あの何とも言えない寂しい感じ。あれは「生活の質」が低いことを如実に物語っている。不味い喫茶店、下世話な話題、しょうもない彫刻・・・・
うまい飯、熱狂する祭り、震えるような音楽、美しい女性、強い男、(美しい男性、強い女、でもよし)それらがいきづく生活空間こそ、「美しい景観」なわけだよ!
景観をより良くする、ということは、その場所の「生活の質」を上げていくことなんです。そいつは20年も30年もかかるんだけどさ。街路樹を植えるでしょ?あれも景観を良くするために植えるんじゃないワケ。木を植える、落ち葉が散る、それを楽しむくらいの生活の豊かさがあるかどうか?なんだ。
(久々に「本質的な」=「ちと恥ずかしい」ところを語ってしまった(笑)

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