ボロブドゥールの文化的景観オープンセミナー

先週、1月29日(日曜日)、
神吉ゼミ/本多平田ゼミが中心となって、オープンセミナーを実施。
議題は、ボロブドゥールの文化的景観、夏の一次調査の報告会。
インドネシア・ジョグジャカルタから研究車が2名、和大の院生が4名発表。
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欧州・インドネシア・マレーシア・日本の院生・研究者などインターナショナルな研究会となった。


これまでは「ボロブドゥール寺院」ならばその建物だけを保存してきた。それが、観光資源の保全だったわけだ。
しかし、それだけでは不十分で、「文化財・観光資源」を取り巻く環境・景観をどのように保全していくかを考えなくちゃならない。その景観は何か?というと、それは自然な景観ではなく、周辺の村人が畑を耕し、山をまもり、脈々と受け継がれて、つくり続けていた人為的かつ継続的な景観、すなわち「文化的景観」である。重要なのは、その景観を支えているものは何か どう保全するのか?ということ。つまり、ボロブドゥールの特別さ、ではなく、それを支える周辺の日常生活、こいつをまもらねばならん、ということだ。
景観について、「生活の質」が表れている、人生と景観は連続している、と言い続けてきた。 観光とは、おもに景観を通してその「生活の質」を見ることだ。わざわざ行ったこと無い場所に出向き、全く知らない人々の「生活の質」や「人生」を景観を通して見る。
観光とは、観(view)+光(richness)だという。(神吉先生) 観光とは、まさしく生活の豊さを観に行くことなのだ。
さて、セミナーではまず、ジャック氏がボロブドゥール寺院の真の意味と価値を歴史資料や、周辺村落のフィールドワークから紹介してくれた。ボロブドゥールが、「湖に浮かぶ蓮」として計画されたことを示すいくつかの痕跡は、とてもイマジネーションをかき立てられた。確かに、一帯が湖だった可能性はあるだろう。
ガジャマダ大のシタ先生は、景観保全がどのような組織(国連・国家・地元自治体・集落などの各レベル)で、どのように行なわれたのか、その問題点は何だったのか?を講演。国連や国家による保全の限界点も明らかになった。
和大院生のティティンさんは、文化的景観ランドスケープのデータベース化の試みを披露。データベース化すればそれを使って、役人・住人・デザイナー・環境客など、村人以外の主体を巻き込んだ積極的なむらづくりが可能になる。
和大本多ゼミの3人組は、周辺村落の実測調査の報告と観光開発・近代化のすすめ方について提言した。
周辺村落の魅力は「村人とのコミュニケーションチャンスの多さ」だと仮説を立て、それがどのような空間特性から生まれているのかを分析。それがテラスなどの適度なバッファと中間的な領域にあるとし、それが近代化によって失われつつあることを指摘した。「変化させたくないもの」はどこか?を設定して、そのための計画を考えたわけだ。
本多ゼミ三人組の今の時点での「結論」は、
「集落居住者の「快適性」だけを求める発展や、観光客のエキゾチックな視線のみを意識した開発は、集落の生活の質や景観を破壊することにしかならない。しかし、両者の立場をうまく取り入れれば、現在の生活を経済的にも精神的にも景観的にもより豊かにする村づくりが可能ではないだろうか。」
ということになった。

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