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「文化としての住まい」11_「葬儀とその空間」

遺体が安置される住居のまわり(ファクンゴン)。男性のみが住居の周囲にたたずむ。女性は住居の中に留まっている。
060327産經新聞和歌山版_研究室最前線
現在、日本人の多くは病院で生まれ、病院で死を迎える。病院での死後、自宅ではなく斎場で葬式を行うことも少なくない。人の死は住まいから切り離され、より専門的な施設へと隔離されつつあるのかもしれない。和歌山大学システム工学部環境システム学科の平田隆行助手は「カリンガ族の村では、病人や死者が村から追い出されるのではなく、死が村を訪れる」のだという。日常生活の場で最後を迎えるカリンガ族の「死」の受け止め方を平田助手に聞いた。

ーー「死が村を訪れる」とはどういうことなのでしょうか?
村人が死ぬということは村に危機が訪れている、そのように捉えられているようです。「死」は個人的な出来事ではなく、親族や村全体の危機なんですね。さらに誤解を恐れずに言えば、カリンガ族はあらゆる人の死を、血讐の戦いで死ぬことを基準にして考えているらしい。本当の血讐が起これば親族はすぐさま報復のために動き出さなくてはなりません。同様に、自然死や病死に対しても親族や村全体がすぐに動き出す。カリンガ族は「死」という不安に対し、臨戦態勢をとることで乗り切ろうとしているのかもしれません。
ーー臨戦態勢とはどのようなことですか?
病気でも事故でも老衰でも、誰かが亡くなった時、発見者が「××が死んだ!」と大声で叫ぶ。その瞬間、村は雰囲気が一変します。村から棚田へ、山林へ、何人もの人々が大声を張り上げて伝令を伝える。ただならぬ様子だということがわかります。この時点で棚田や山林での労働は禁止。2時間もすれば、死者の家のまわりではたき火がたかれ、犬が供犠され、男達が集まり、棺桶がつくられます。そして遺体が安置された瞬間、葬儀の空間が出現します。
ーーそこでは何が始まるのでしょうか?
まず、死者の家の周囲はファクンゴンという名前で呼ばれます。遺体は住居の真ん中に置かれ、室内は女性たちで埋め尽くされます。狭い住居に20名以上の女性が死者を取り囲み、涙を流したり葬歌を歌ったりして死者との別れを惜しみます。
ーー男性はどうするのでしょう?
男達は何をするわけでもなく、夜を徹して屋外に居続け、ときどき葬歌を合唱します。他村からの弔問客も同様です。ここで、他村の弔問客をよく見ると多くは槍やライフルを持って武装して来ていることに気がつきます。やはり、葬儀は臨戦態勢なのだということが確認できます。
ーー武装はもちろん形だけのものですよね?
そうでもありません。ライフルにはちゃんと実弾が入っていますから。実際、翌朝には村の若い衆がライフルを手に山に向かう。そして水牛に向かってライフルを撃つのです。これはアチャーマという儀礼的な狩猟ですが、血讐の報復を暗示していることは間違いありません。
ーー水牛に報復するということですか?
そうですね、水牛を具体的な敵に見立てることで「死」という不安を乗り越えようとしているのではないでしょうか。もちろん、隣村を襲撃しても良いのでしょうが、それでは血讐の応酬になってしまう。だから、村の最も外側に生息している大型動物の水牛を敵に見立てているのでしょう。しかしせっかくの水牛なので、解体して肉を持ち帰ります。しかし、よく見ると集まっているのは死者とは縁が薄い村人達だけで、近親者や隣近所に住むものはだれもいない。
ーーなぜでしょう?
死者に近かった人には、肉に触れてはいけないというタブーが課せられているのです。ここでもう一度遺体の位置に視点を戻すと、死者のまわりには近親の女性達、屋外には男性達。さらにその外側には肉食禁忌のタブーが課せられている。つまり、死者を中心に、目に見えない同心円状の結界が広がっていてそれに従って人々が振る舞っていることが分かります。
ーー村籠りの儀礼では、村の内外に結界をつくっていました
その通り。カリンガ族は、危機に対しては距離を設けること、結界というバリヤを張ることで切り抜けようとする。死という不測の事態に対しても、同じように何重もの「距離」を設定し、死を出来るだけ安全な範疇に納めようとしているのだと思います。さて、3日目の昼過ぎになると、遺体は住まいの脇に埋葬されます。その瞬間、あらゆるタブーが消えて行く。ファクンゴンという場は消滅し、女性達は屋外に出、肉食禁忌のタブーも消える。すると今度は、同じ場所で牛やら豚やらをつぶし、みんなで肉を食べる共食の儀礼ウットンが始まるのです。村が死を受け止め、安全なものへと浄化し終えたこと、日常が戻ってきたことを皆で祝うのです。
ただし、一人だけタブーが解けない人がいます。それは死者の配偶者です。配偶者は葬儀の間もずっと遺体に寄り添います。そして、その分タブーも厳しい。肉食や飲酒、散髪は1年間禁止され、さらにダンスは一生タブー。カリンガ族の葬儀を見ていると、社会がどのように人の死を迎え、そして日常に戻って行くのかがわかると思います。

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