060405産經新聞和歌山版・研究室最前線
都市から遠く離れた山奥で伝統的な生活を送るカリンガの人々。そんなカリンガの村から現代日本の住まいを見たとき、いったい何が見えるのか。和歌山大学システム工学部環境システム学科の平田隆行助手は、便利さや経済的繁栄と引き換えに日本の住まいが失ったのものは何だったのか、そのヒントが得られるという。本シリーズの最終回である今回は、カリンガから見た現代日本の住まいについて考える。
ーーカリンガの人々は日本の住まいをどのように考えているのでしょうか?
工業国日本では誰もがコンクリートジャングルの高層ビルに住んでいると思っていますね。日本に対してシンガポールのような都市国家のイメージを持っています。単に山奥のカリンガとは全く正反対の世界だと思っているのでしょう。実際には日本の国土の7割が山地で、多くが木造住宅に住んでいると聞くと彼らは大変驚きます。日本の田舎には茅葺き民家がたくさん残っているし、畳という草のマットレスの上に寝ているのだというと、何だ、同じじゃないか、と言い出します。要するに日本人がフィリピン山地民の住まいを知らないように、カリンガの人々は日本の住まいを知りません。日本人が「山岳民族の伝統的な住まい」と聞いて連想するのが「不便だけども素朴で自然と調和した住まい」であるように、カリンガの人々が日本の住まいと聞いて連想するのは「便利だけども不健康で非人間的な住まい」です。
ーーでは、日本とカリンガの両方を知っている立場としてはどうでしょうか?
フィールドワークが始まってしばらくはカリンガ族の住まいの形に感動したり、奇妙な習慣や巧みな住まい方に感心したりしていました。確かに家の大きさや大工技術、住まい方を見るとカリンガの住まいは日本の住まいとは異なり、伝統的な住まいは環境と共生していると言えます。でも、数ヶ月が経つとそれはたいした違いではない気がしてきます。むしろ住まいの本質的な部分は同じだということに気がつきます。
ーーそれはどこでしょう?
それは人間らしく生きるために住まいに住んでいる、ということなのだと思います。どちらの社会でも、住まいとは人が人間らしく生きて行くために必要とされています。カリンガでは人間に相応しい住まいとは米蔵でした。だから米蔵に似た住まいに住むために汗だくになって働く。日本でも同じように、人間に相応しい住まいに住むために夜遅くまで働いています。ただ、カリンガと日本では「人間に相応しい住まい」の考え方が大きく異なっている。だから全く異なる住まい形が表れてきます。
ーー日本での「人間に相応しい住まい」とは、なんですか?
この問いには簡単に答えることができません。日本では「人間に相応しい住まい」が不確定なのです。高級住宅地に住むことだと考える人もいるし、天守閣のようにそびえ立つ御殿だと考える人もいるし、高層マンションだと考える人も、入母屋屋根の木造住宅に住むことだと考える人もいます。人それぞれです。これは一見、自由でよいと思えるかもしれませんが、その結果立ち上がる風景は全然美しくない。
ーー人それぞれであることが良くないのでしょうか?
いえ、多様であることとは決して悪くはないと思います。そうではなく、「人間に相応しい住まい」とは何か、それを支えている文化の質に違いがあるのだと思います。本シリーズでは、カリンガ族の土地所有、集落の構成や住まい方、儀礼などを見てきました。そこで垣間見えるのは、建物の美学的な価値や希少価値ではなく、住まうことの背後に存在する、高度な生活文化の存在です。この生活文化によって、実に巧みに自然環境と共生し、村人は人生の喜びに満ちあふれ、誇り高く生きて行くことができています。
ーー私たちがカリンガの住まいから学ぶことは何なのでしょうか?
私たちの社会は、近代化をむかえる時に、伝統的な生活文化の多くを切り捨てました。そのおかげで、明るく便利な住まいを手に入れることができたし、個人の自由を手に入れることもできました。それはとても素晴らしいことだったと思います。しかし、そのために、住まいの背後にあるべき生活文化は全く脆弱なものになってしまった。私たちは100年かかってかつての伝統文化から脱却しました。これからは数百年かけて、その失った生活文化をしのぐような、私たちに相応しい生活文化を育て上げなければなりません。カリンガの生活文化は、カリンガ族が数百年かけて造り上げた到達点です。これは私たちのめざす目標となる気がします。
ーー何か手がかりはありますか?
産業革命を機に始まった近代化は、生産や労働、住まいを場所から切り離し、個人に分解しました。100年経った今、デジタル通信技術によってコミュニケーションの革命が起こりつつあります。文化とは人と人とのコミュニケーションからうまれます。コミュニケーション革命によって、バラバラになった個人がつながり、もう一度文化を育てることができるのではないかと考えています。住まいの文化が十分に育った時、一人一人の生活の質が十分に高まった時、日本の景観は再び、とても美しいものになっているのではないかと思います。そしてそれは大きな可能性があると思っています。