熊楠邸

26日、
結局徹夜で神戸から田辺へ。8時台に出て着いたのが13時。
これまでの実測図面をチェック。ここまで間違いがあるとは思っていなかった。
報告書が出来ていないことを本多先生が役所に詫び、帰ってきた。むむむ。担当N、大変だとは思うが、ここはクリアしなければならないところだ。
さて、熊楠邸の活用提案だが、はっきり言って住居そのものの建築的希少価値は、周辺の豪邸・旧家に引けを取る。ただ、それが熊楠の特徴を良く表している気もする。
やたらと古い感じにし、観光客にわかりやすい熊楠邸に「復元」することももちろん可能だろうが、熊楠という人を思うとそういうことに最も遠い人のような気がする。
-脇道-
鶴見和子の「南方熊楠」(講談社学術文庫)、を眺めるとまさにそう思う。(飯倉照平先生の全集や「南方熊楠・人と思想」「南方熊楠柳田国男往復書簡」などがさらにその根本だ)
私がそのさわりだけを覗いても、南方学問の奥の深さをかいま見ることが出来る。ものごとを分析的に見るのではなく、無方向にリンクしてくそのダイナミックな文化解読は艶かしく生きた学問だと感じる。分析し、無機かしていくのではなく、あえて複雑な脳を使って有機的に解読していくその論法は、日本的な思想に西欧的な学問がまさしく統合しているように見える。
しかし、熊楠の「奇人」ぶりもものすごい。熊楠個人の生まれついたものなのか、それとも学問の必然なのか?
-脇道終了-
熊楠邸をどう見るか?だが、まず、「熊楠研究所」たる、研究所が全くもって一軒家で、あえて言えば蔵が「書庫」になっているだけ。建物自体は全然変わったところがない。ものすごく普通だ。おまけに庭の一部には戸建て貸家を建てて家賃をとっていたくらい!
また、庭についても、もちろん珍しいものもあるがそれほど変わっているわけではない。全然つくり込んでいない。「神社の境内」のようなものだ。
でも、ここが熊楠のすごいところなんだろう。
和歌山県の小さい街で、どこの研究機関にも属せず「文士」として生きた熊楠は、
偉大なる天才アマチュアの「おたく」だったのだと思う。自宅の庭で世界最先端の発見するといっても、実はそれは普通の家。それが面白いんだろうな。
奇人熊楠、普通の家にて大学者。
こいつを保存し「博物館」的に変えるとなるとちょっと問題だ。
はたして、熊楠の家を「捏造」することに手を貸すことになるのか、それとも???
ポイントは、熊楠の書き残したもの、特に住居・庭の記述を注意深く読み取り、その空間表現と今の建物の関係を探ることが一番だと思う。
<%image(20040728-DSCN2213.jpg|256|192| レーザー実測はかなり効果がある。正確だし、一人で効率よく計測可能。中国行きに期待がかかる。寝てないので気分はハイ。でも23時には寝てしまう。

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