一乗閣

12月8日(かなり前だな)久々に睡眠とって朝イチで「一乗閣」に行きました。
下宿から車で30分以内の、根来寺に移築されています。これが現在、存続の危機だとか・・・
和歌山県文化財センターが現状調査をしているところを、本多教授、オスカーニイヤマ氏、メリッサ氏と4名で見学。(建築家の中西重裕先生もその後来たらしい。)
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この一乗閣、1897年にたてられた、和歌山県の県議事堂です。
和風なので根来寺が買い取り境内に移築しています。
この建物、基壇の上にあって、プランは左右対称の西洋様式建築風。
でも立面は和風。
でもって中身は議会制民主主義の象徴である議場。
議場とは言っても、実際は芝居小屋にそっくりの公会堂。
トンデモ建築。明治の何でもアリ感が漂います。


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これが、議場?公会堂?部分。どうみても芝居小屋。
文化財センターの鳴海氏、鈴木氏に案内され、いろいろと見て回る。
基壇の上に載った木造、とても高い階高、奈良ホテルや二条駅、開智小学校などと同じく、近代と日本建築が奇妙に同居している。
議場と言う民主主義の象徴たる建物のデザイン、なのですが、
国会議事堂の建築では、建築界を大きく揺るがした議論が起っています。(1910年代)それは「いかにして国家を象徴させ装飾するのか?」です。 徳川時代の江戸城のような時代遅れ近世デザインではダメだろう・・。かといって欧米の建築様式であっていいものか? 日本は不平等条約を見直し、一人前の近代国家として世界に出て行くべきなのに・・・、と。
さて、どんな様式がいいのか?そんな論争が行なわれています。 
で、結局は、「洋風を基礎に和風の意匠を折衷すべき」とされ、
1具体的なもので伝統を表現,
2具体的なものは寺社建築から引用、
3技術は最新の西洋のもの
(以上、藤岡洋保、建築20世紀Part2 p78)
と、されたようです。
(その後、欧風のプランに瓦屋根を載せる「帝冠様式」が生まれる。1930年代)
それに先立つこの県議事堂、とても興味深い。議会制民主主義がどのように日本に入っていったのか?近代がどのように日本に入って行ったのか?それがどのように地方に伝わっていったのか?それが伝わってくる。まさに生き証人的な建物。政治史や近代史を物語る重要な遺構だと思うのですが・・・
この一乗閣、和歌山県知事が「是非活用したい」と声を上げ、それを受けて保存改修を前提にした募金が行なわれていました。
しかし!、法規面・安全面での難しさから「解体して新たにRCでつくりなおす」となってます。何たる矛盾と無意味さ・・・こんなモノ、RCでつくったとしてどんな意味があるのだろう?
12月中旬、この建物は「登録文化財」になったのですが、基準法3条を適応できるよう、県指定の文化財にするための運動を行なっています。
(ただ、巨大でいい加減な木造トラスで25mくらいの大スパン飛ばしてますので構造的には虚弱です。)

一乗閣」への3件のフィードバック

  1. 建築ジャーナル、2006年2月号にて、一乗閣の問題を書いています。
    また、<a href="http://mytown.asahi.com/wak…">和大の海津先生の記事_asahi.com</a>では、根来寺遺構の重要性を伺い知ることができます。

  2. なんとかアップです。
    ふー!
    そのうち、「ヴィラ・クゥクゥ」と「ドーモ・セラカント」の現状をアップしますよー。

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