060228_産經新聞和歌山版
前回見たカリンガ族の住まいは高床式の米倉を連想させるものだった。実際にカリンガ族の住まいと米倉は非常に似ているのだという。これは何を意味するのか? 和歌山大学システム工学部環境システム学科の平田隆行助手は「これは単に米倉を住宅として使うようになった名残なのではない」という。むしろ米倉に似た住まいに住むことこそがカリンガ族の文化なのだという。日本と同じ、床の上に住まうカリンガ族。その住まいのルーツである米倉について、平田助手に話を聞く。
写真:米倉の前で刈り取ったばかりの稲穂を乾燥させる
ーー住まいと米倉は大変似ていますが、ほとんど同じ建物なのでしょうか?
建物だけを比較すると材料は松材で同じ。柱や壁も同じ形で、屋根も構造も、壁に動物の血を塗り付ける儀礼まで同じです。大きな違いは、米倉は住まいに較べて1/6から1/8ほどの小さなものであること。そして米倉は完全に密閉されているということです。米倉はネズミなどの小動物が入らないように隙間のない完全な箱状になっていますが、住まいは中で火を使うため、煙を外に出さなければなりません。煙を抜く細かい工夫や大きさの違いはありますが、その他はほとんど同じと言って良いと思います。つぎに立地を見ていくと、棚田の跡地にしか建てられないことや親族共有の土地に建てられることろまでは住まいと同じです。住居と同じように何軒かが群がることが多く、まるで別に出来たミニチュアの集落のよう。しかし、米倉は必ず集落からやや離れた場所に建てられます。つまり、米倉は住居の縮小版ともいえますが、建てられる場所が全く異なります。
ーーなぜ米倉は集落から離れたところに建てられるのでしょうか?
カリンガ族の村の不思議なところですね。なぜ、米倉をわざわざ自分の住まいから離れた場所に建てるのか、村人に聞いてもはっきりしません。稲刈りの時は棚田に近い方が便利だ、という村人もいますが、棚田は四方八方に点在しているのが普通。米倉が棚田に近いとは一概には言えない。村ではその日に食べる米を臼で脱穀しますから、毎日米倉から稲穂を運ばなければならず、米倉が遠いのは明らかに不便。そもそも最も大切な食料を村はずれに放っておくのは泥棒に盗んでくれと言っているようなもの。それでも彼らは集落から離れた場所に米倉を建てるのです。これは明らかに別の理由があると思うのですが、村人は上手く説明してくれない。説明はできないのだけれども、理不尽だとも思っていない。
ーー何か別の理由、宗教的な理由があるのでしょうか?
カリンガ族の場合、距離を取るということは何かが違うということを意味します。使い方を見て行くとそれがよくわかります。例えば米倉の中で人が寝てはならないし、住まいでは米を貯めてはならない。米倉では炭を使うが、住まいでは火を使う。米倉では祖先の霊が居着くが、住まいでは祖先の霊を追い出す。使い方のルールを見て行くと明らかに逆なのです。形は同じだけど、使い方は逆。繰り返しになりますが、カリンガ族は人と稲を不可分だと考えています。人間は野生動物と違って文化的なもの。稲も野生の植物とは違って文化的なもの。だから人と稲は似たような建物に入る。これが住まいと米倉が似ている理由です。だけれども、やはり稲と人とは違う。だから距離を取り、使い方をわざわざ区別するのだと思います。
カリンガ族は、意図的に米倉に似た住まいに住んでいる、ということですね。
そうですね。米倉そのものと混同はしないけれど、似たような形の建物に住んでいるのだと思います。
前回、規範にのっとって住まいが建てられているという話をしましたが、実際には規範から外れた住まいはたくさんあります。経済的に余裕がないとか、準備中だとか、様々な理由が付けられていますが、規範から外れた住まいが3割ほどある。一方で米倉は完全に規範にのっとってつくられます。実に99%以上が全く同じ様式。それほど規範が絶対で、カリンガ族にとって米倉とはシンボリックな建物なんだと思います。さて、米倉もう一つ大きな意味があります。夫婦が結婚して米倉を持つということは、夫婦のそれぞれ自分の棚田で収穫した稲穂が分け隔てなく納められるということです。夫婦が一軒の住まいに住み始めるのと同時に米倉でもそれぞれの稲穂が同じ場所に納められる。おそらく、人と稲が不可分であるということがとてもよくわかると思います。米倉は自分自身と不可分な稲穂の住まいなのではないか、と考えています。