「文化としての住まい」10_「熱い祭りと震える音楽」

パットンを踊る村人達
写真:パットンを踊る村人達。庭先に数百人が集うこともある
060320産經新聞和歌山版_研究室最前線
他人と同じ時間と場所を共有することが難しくなってきている。
生活時間も生活スタイルも違う住人が地域イベントを企画しても、楽しみというよりむしろ負担でしかないのかもしれない。
和歌山大学システム工学部環境システム学科の平田隆行助手は、「カリンガ族のような社会に戻ることは出来ないが、集団で行う祭りや芸能の質の高さは無視できない」という。カリンガ族が心血を注ぐ儀礼と、心を震わせる音楽について、平田助手に聞く。


ーーカリンガ族の儀礼や祭りとはどういうものでしょうか?
カリンガ族は儀礼を非常に重んじる社会です。全財産を投げ打ってでも、儀礼だけはきちんと行います。それほど大きな意味を持っています。
ーーなぜ、それほどまで儀礼にこだわるのですか?
一つは畏れ。病気や不幸から逃れるためにアニトと呼ばれている精霊にアピールします。もう一つはプライド。儀礼の主催は必ず個人、供犠する動物を提供するのも個人です。真面目に働き、財産を蓄え、儀礼の日に立派な水牛の肉を振る舞う。そうすることで村人から尊敬されます。つまり村人にアピールするため行っているのですね。精霊の世界と人間社会、この2つにアピールするために儀礼にこだわっているのではないかと思います。
ーー儀礼では何が行われるのでしょうか?
一概には言えませんが、動物を供犠しそれを皆で食べる、つまり共食という意味がとても強いように思います。もちろん複雑な儀式を重ねる儀礼もありますが、動物供犠と共食が基本になります。
まず、動物をどこで供犠するのか、これがとても重要です。畦を直す儀礼なら畦道で、家屋の建設なら建設現場で、と、かならずその場所で行う。儀礼はその場所でやらなくては意味がないのです。つぎに調理。動物の供犠や肉の調理はその場ですべて男性の高齢者が行います。80歳を超える老人達が大きな水牛を解体して大鍋に入れて煮ます。その間、女性達は各家庭でご飯を炊き、鍋ごと持ち寄ります。調理が一段落すると、お酒を飲んだり、歌を歌ったり、パットンというダンスを踊ったりします。
ーーダンスとはどのようなものですか?
男性がドラを鳴らしながら列をつくってまわり、そのまわりを女性が両手を羽ばたかせるようにして踊ります。音楽は本当に見事。単純な音を重なり合わせて豊かで深みのある音楽なんですね。民謡というよりはミニマリズムと呼ばれる現代音楽や、トランステクノと呼ばれる電子音楽に近いくらいです。重低音のドラが鳴り響く真夜中のパットンダンスは、まるで若者が集う都心のクラブのようです。ダンスの合間には長老が民謡を歌ったり、即興で笑わせたりもします。そのとき、歌い手が歌い終わると村人の間から自然と合唱が起こります。村人が歌を返すんですね。もう完全に「ビルマの竪琴」の世界です。
ーー感動的ですね。平田さんも歌うのですか?
私のような外人は必ず一曲歌わされますね。私はカラオケが大の苦手なのですが、もう仕方ありませんね。観念して「月の砂漠」や「リンゴ追分」を歌ったりします。するとやはり、合唱のお返しが帰ってきます。不思議と涙がこぼれますね。
ーー食事もやはり感動的なのでしょうか?
この食事が非常に面白い。子供も大人も平等に肉とご飯が振る舞われ、そのまま屋外で食べます。狭い庭先に200人くらいが一度に食べる。ご飯は洗面器一杯くらいの山盛り。それに肉片とスープが振る舞われます。これを一心不乱に、15分くらいで食べてしまう。
ーー食事はおいしいのですか?
村に冷蔵庫はありませんから、肉は保存できない。水牛を食べる時には村人全員で一度に食べてしまわなくてはなりません。だから豚や水牛の肉を食べられるのは月に一度か二度。肉はとても貴重です。ご飯も山盛りで、明らかにいつもとは違う特別な食事だから、もちろんうれしい。ただ、腸を煮込んだスープが出てくるのですが、おじいさん達の調理法では伝統に従って腸の中身を洗わずにそのまま煮込むのですね。要するに牧草と排泄物のあいだの物質がたくさん入っているのです。
ーーどうするのですか?
もちろん、残さずきれいに食べます。村人の半分くらいはまずいと感じているようですが、それでも文句一つ言わずに黙々と食べます。食べたら儀礼は終了。実にあっさりと終わります。いままでの熱狂はなんだんだ?というくらいに。さて、今回は儀礼の祝祭としての側面をお話し致しましたが、次回は葬儀の様子を詳細に見て行きましょう。

「文化としての住まい」10_「熱い祭りと震える音楽」」への1件のフィードバック

  1. 「他人と同じ時間と場所を共有することが難しくなってきている。
    生活時間も生活スタイルも違う住人が地域イベントを企画しても、楽しみというよりむしろ負担でしかないのかもしれない。」
    これにドキッとしますた(^^;)
    地域の行事を保全してても、実はやってる本人達がしんどそうなのってありますもんね。。。なんのために保全してるのかっていうと・・・楽しくないなら、なんか理由付けしないと長続きしないですね。理由付けしてもつまらないんだったらもうやめたほうがいいですかね???うちの地元は楽しそうにおっさんらが祭りをしてます。何の変哲もない祭り。当日の酒飲みだけを楽しみにやってるような感じ。だから準備に負担がかからないように、毎年同じことしてるようです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください