鼎談「住宅政策と震災復興の展望」(後半)

昨日の続きです。
鼎談後半部分、3名の議論を中心にまとめました。
大船渡市の復興をまとめている塩崎先生に対して、ここをやらねばならない、という指摘がつぎつぎと持ちあがる展開となりました。その指摘は、ダイレクトに、私達の世代に突きつけられたものであります。個人的にきちんとまとめるべきだと感じ、またブログにて公開することにいたしました。

(もちろん勝手にまとめたもので、発言者に承諾などいっさい取っておりません。文責は私、平田隆行にあります。なお、このあと、塩崎先生と鈴木先生が続きます。アップできたらアップしますが・・・声援があれば…)

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鼎談「住宅政策と震災復興の展望」(後半)
鈴木浩(福島大学名誉教授、福島県復興ビジョン検討委員会座長)、室﨑益輝(関西学院大学災害復興制度研究所所長)、塩崎賢明(神戸大学大学院工学研究科教授)
非公式のまとめメモ(平田隆行)
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■専門家論2・奥尻の経験(室﨑)
被災者の声を復興のリーディングセオリーとして形にする専門家が必要。阪神淡路大震災では、その役割の1/5くらいは果たすことができたが、それは塩崎先生、重村先生とともに復興を考えてきたからであった。93年の奥尻島では全面高台移転案をした。200段の階段を登ったところにある高台に400世帯全員があがるという。計画を造ると、やはり嫌だという話が出て50世帯が下に住む計画に変更。しかし、最終的にはほとんどの人が下に住みたいという話になっていた。そのときにはじめて、漁業している人は海と切り離せないのだ、ということを教えられた。奥尻島ではかなり急いで計画を立てたことが良くなかった。単なるアンケートではなく、しゃべってくれないことまで聞けているかが重要だった。腹の底を見ないままに計画を立てたのが奥尻の失敗だった。

■建築制限・大船渡と安全性確保の呪縛(塩崎)
建築制限が復興を阻んでいるという問題について。「安全性確保の呪縛」からはなかなか免れられない。大船渡の復興計画では、自分でもあれではいけない、と思う部分がある。だが、圧倒的に人が足りない。担当する職員は病気になるのではないかと心配するくらい懸命にやり、市長を説得し、精一杯やって、あそこまでだった。「安全性確保の呪縛」から免れるには、自治体にマンパワー、技術や専門知識が圧倒的に不足している。それをどう突破するのか、が大きな課題。
阪神淡路大震災の確認申請では、木造2階建て以下であれば、どんどん建てて後から追認することもできた。しかし、東日本大震災では「安全性確保の呪縛」があり、阪神淡路とは違い、簡単に建てられなくなっている。福島第一原発の周辺ではさらにその問題が大きくなっている。

■福島県の木造仮設住宅(鈴木)
福島県庁を最初に訪れたのは3月20日だった。仮設住宅1万4千戸の配置計画が届くと聞いていた。阪神淡路大震災での仮設住宅の状況を知っているため、確認しにいったところ、阪神淡路と全く同じ計画となっており、阪神淡路の経験は何も活かされていなかった。地元には工務店がたくさんあり、大工がたくさんいる。木材も産出する。それを使えないか、と考えた。しかし、それが大変難しいことが次々明らかになってくる。47都道府県すべてに、応急仮設住宅の関する協定がプレハブ協会と結ばれており、災害が起こるとプレ協に自動的に発注される仕組みになっている。協議を重ね、プレ協は1万戸供給しかできないとシャッポを脱いでもらい、のこり4000戸(後に6000戸)は木造仮設を建てることになった。
このようにして木造仮設は始まったが、副次的な問題が起こった。災害救助法での仮設住宅は、完成品を商品として供給される扱いとなっており、通常の建築で行われる請負契約ではない。そのため、中小工務店や大工などに工賃として発注ができない、という問題があらわになった。もうひとつは、プレ協の仮設と木造仮設との間で差があまりにもはっきりしてしまっており、被災者に格差が生じてしまう問題が起こった。

■原発避難の「二段階」仮設住宅(鈴木)
原発から4キロの浪江町の住民は、蜂の巣をつついたように散り散りに避難することを余儀なくされ、避難先は県内28カ所に分かれてしまった。ふるさとに20年も30年も帰れないかもしれないという状況の中で、避難生活をどのようにして故郷のコミュニティに近い形にするかが課題となっている。故郷に近い、低線量地域に、コミュニティ単位で移転をすることを考えているが、この仮設住宅の再編成(二段階仮設住宅)は双葉八町村全体で考えなくてはならない。これも自治体の能力を超える課題となっている。

■原発と福島県の復興ビジョン(鈴木)
福島の復興を考えるとき、原発に対する姿勢(原発依存をどうするか)を示さなければなにも進められなかった。第一回目の委員会で12名の委員のうち半数以上が脱原発の意を表した。10月には議会で10基の原子炉すべてを廃炉する決議がでた。いま原発に対してオール福島で決断ができるようになった。

■浪江町の復興計画(鈴木)
長い時間がかかる場合、どのようなプロセスを経るのかを示さなければ、住民は納得できない。浪江町では、県外避難者に委員に入ってもらった。すると、「いまつくっているのは、ふるさと浪江町の復興計画ですね、私たちは県外に避難していますが、戻りたくない、戻れないという人もいる。その人たちへの支援策は復興計画の中に示さないのですか?」という意見が出た。ここに非常に大きな課題がある。ふるさと浪江町をなんとかしようという気持ちだったのだが、故郷から離れている人たち、やむを得ずそこで生活を再建する人たちに対する支援策とは何だろうか、を考えなければ、浪江町の復興計画は完結しない。
福島県では10年の復興計画を立てたが、浪江町ではそれが通用しない。仮設住宅やみなし仮設、県外避難をしている住民の生活は3年持たないかもしれない。だから、3年間で何ができるかを示す必要がある。短期計画、中期計画、長期計画というレベルでは済まされない。3年の間に何ができるかを示さなければならない。それが原発周辺のおかれた状況。

■復興のガバナンスとは何か、脱原発ドイツと日本(鈴木)
居ても立っても居られず、9月に脱原発を決めたドイツへ向かった。「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」は倫理の問題として脱原発を決めた。一方、日本で倫理の問題として原発問題を論じることはない。この違いはドイツと日本の戦後処理の違いでもある。倫理や正義という言葉が日本では使えなくなっている。復興のガバナンスという点で、現在の復興庁は役にたっていない。復興のガバナンスはどのようにしていけば良いのか、復興庁はどのような政策ができるのかを考えていかなくては行けない。自治体支援は重要であり、自治体と復興庁をどのように結んでいけば良いのか、ドイツの経験を活かしながら展開していきたい。

■「ゼロリスク」と多様な選択肢(室﨑)
放射能汚染をどこまで許容するか。年間1ミリシーベルトでも絶対安全だとは言えない。だが、ゼロリスクとしてしまうと、福島県民を殺せ、ということに限りなく近づいてしまう。もちろん、1ミリシーベルトでも福島が元通りに復興するのは難しい。だが、1ミリシーベルトを許容できなければ、計画論、技術論として答えが出せない。徹底的な除染をし、1ミリシーベルトを許容し、除染の技術を高め、日本人の意識を変えていかなくてはならない。50年にわたる計画を考えなくてはならない。
津波のリスクをどう考えるのか。1000年に一度の津波で、1万人に1人が死亡するリスクを認めるならば、もとの場所に済むことを含めて、多様な選択肢を示すことができる。「危険」という言葉は、幻想でまやかしで、人の恐怖心をあおり高台に追い立てようとしているのではないだろうか。あおりながら巨大な土木事業を行おうとしているのではないか。阪神淡路でも多様な選択肢から選ぶ自由があることがきわめて重要だった。仮設住宅から復興住宅というワンパタンの復興過程ではなく、自力仮設など多様性を示すことが重要。最低限守らねばならないリスクを確実に達成した上で、多様な選択肢を示し、被災者の声を聞く。あたかも、これしかない、と言って押し付けているのが、大きな問題ではないだろうか。

■まちはじっくりと(室﨑)
10年かけて、ゆっくりまちを造っていくべき。地元の雇用にもつながる。土地造成をして一度に街を造っても、雇用にはつながらず、一気に造ったことを後悔することになる。まちとはじっくりとつくらなくてはいけない。しばらくは仮設住宅で暮らさなくてはならないが、プレ協の仮設は居住性がよくない。だからもう一度、木造仮設住宅を作り直せば良い。300万円で3万戸、わずか一千億円。復興予算は19超円。仮設住宅だが、基礎をコンクリートで作ることができれば、そのまま恒久住宅になる。もういちど仮設住宅を造り、数年間、ゆっくり住みながらまちを、そして環境をつくる。できるだけみんなが同じ場所に住まい、復興の理論をしっかりと行えるようにする。
スピード感の捉え方が間違っている。汚れたキャンバスを真っ白にして、もう一度絵を描けるようにするには、スピード感が大切。きれいなキャンバスができたら、そこに描く絵は、ゆっくり、魂を込めて描く。急げば良いのではなく、いい作品を描けば良い。いま必要なのは、スピード感ではなく、じっくり感が必要。今頃になって「スピード感」といって19超円を3年間で使わせようとするのはたいへん愚かな考え方。時間をかけ、どのように成熟社会、地域社会を造っていくのかは、住宅政策の話でありコミュニティの話である。いま、つぶれかかっているコミュニティに対して、何ができるのか、プランナーが専門家として提言をして行かなくてはならない。災害集団移転事業がもつ、決定的な誤りを計画の専門家は、理論的に批判しなければならない。

鼎談「住宅政策と震災復興の展望」(後半)」への2件のフィードバック

  1. 気長に待たせていただきますので、続きを、ぜひお願いします。

  2. ピンバック: poly-tanked cosmos - 塩崎賢明先生の最終講義と鼎談

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