東北の三陸地方で話を聞くと,東日本大震災以前から活発に避難訓練を行ったり,過去の津波浸水を確認したり,専門家を呼ぶなどの活動をしていた地域が多くありました。役所が設定した避難所に不安を感じ,大学の専門家を呼んで,避難所をより高い場所に変更しなおしていた漁村もありました。東日本大震災によって,三陸は大きな被害を受けましたが,それでも昔から津波に対して常に警戒をしてきた地域であることがよくわかります。
和歌山は三陸と同じく,定期的に津波に襲われる地域ですが,串本などの一部をのぞけば,津波に対する危機感は少なく,実に「おっとり」していると言われています。昭和の南海,東南海地震が比較的小規模だったからかもしれません。
今年の7月に,県内の自主防災リーダーが集まる機会がありました。そこで124名のリーダーを対象とした簡単なアンケートを行いました。その中に災害に対する「危機感」と「あきらめ」のふたつの質問を入れておきました。果たして和歌山県民は本当に「おっとり」しているのでしょうか?アンケート結果を分析すると,84%のリーダーが「住民には危機感が足りない」と答えました。和歌山県民はやはり「おっとり」構えているのですね。「あきらめ」に関しては,73%ものリーダーが「住民にあきらめがある」と答えました。「津波が来たらどうしようもない」「河川が氾濫したらどうしようもない」と考えている地域が非常に多いことがわかりました。
ただ,「危機感が足りない」のに「あきらめている」というのは,ちょっと変ですね。災害を甘く見ているのなら「あきらめない」でしょうし,「あきらめる」ほど深刻ならば,危機感はもっと強いはずです。これは一体どういうことでしょうか?これは「災害のことを考えたくない」という心理が働いているからだ,と私は分析しています。「大災害が来てしまったらおしまいかもしれないが,恐ろしい大災害なぞ来ない」。そう思い込むことで日々の安心を得ようとしているのだと考えています。これはとても危険なことです。安心を求めることと実際の安全がまったく関係していません。仮に県内の7割を超える地域で,そのような傾向が見られるのだとすれば,和歌山県の防災意識は深刻だという他ありません。
防災訓練や防災まちづくりは,時に厳しい災害想定を持ち込んで危機意識をあおることがありますが,基本的には大災害のなかで生き抜く希望を見つけ,ひき続き安心して住まえるよう,地域を少しずつ改善して行こうとする営みです。「安心」を得るために行う活動を現実の「安全」につなげていくのが,防災まちづくりなのです。冒頭にあげた三陸の人々の防災意識の高さは,津波に目を背けずに「安心」を手に入れ,住み続けるための知恵だったと言えます。和歌山では次の津波までまだ時間があります。目を背けずに,「安心」と「安全」を手に入れられるよう立ち向かいましょう。(1202文字)
写真キャプション
今年度海南市に新たにもうけられた避難のための階段。ハードでもソフトでも「希望」を持つことで「あきらめ」に打ち勝つことが重要。