イノセンス

こんにちは。ちょっと更新サボり気味で申し訳ない。
書かなくちゃならないことは沢山あるんだけど(「美術館の遠足」のこと、EDRAのこと、設計演習が始まったこと・・・etc.)、映画評でも書いてみるか。
週末に見たのは押井守監督+Production I.Gの、「イノセンス」。


1:人形について
球体関節の「人形」=「ガイノイド」が出てくる。これががひとつのテーマ。ベルメールや澁澤龍彦の人形論を下敷きにしている。「鑑識のおばさん」と「キム」の認識の仕方が対照的。「人形は魂がないからこそ美しい」というキム、「人形(ガイノイド)をモノとして扱うから事件が起きる」という鑑識おばはん。この二人の意見の対峙が「人形と人間」というテーマを問題提起している。はたしてどんな結末だろうか・・?と。
2:ゴーストについて
ハッカーである「キム」に仕掛けられた仮想現実の迷路のなかで、バトーとトグサは現実を見失いかける。草薙のサインによって「仮想現実の迷路」にハマったことに気づいて脱出するが、「果たしてイマ・ココが現実だといえるのか?」 わからなくなる。 バトーは「俺のゴーストが『現実だ』とささやくから」これが現実なのだ、という。つまり、科学的な根拠はなくても「ゴースト(魂みたいなもの)」という、とらえどころのない非合理な根拠を「信じて」、これが現実だ、と確信している。それに対してキムは根拠のない「ゴーストのささやき」に耳を貸そうとはしない。そこが二人の大きな違いとなる(「俺とお前とでは履いている靴が違う。」(バトー)とはこのことであろう。)
3:ホンモノとはなにか?
(この映画の中では)バトーは常に「ゴーストのささやき」を信じて行動している。圧巻は、ガイノイド「ハダリ」との戦い。ここで「暴走ガイノイド・ハダリ」と「ハダリのボディーにのり移った草薙素子」を根拠なく見分け、信じ、ともに戦う。
4:人形/人間
ラストシーンで「人形に魂を吹き込むからくり」が解明される。そこでバトーは興味深い怒り方をする。「自分が生きるためには命を吹き込まれた人形がどうなってもいいのか?」と。しかしバトーは、映画中程でヤクザ事務所を殲滅させ多くの人間を殺戮しているし、ガイドイドの暴走で死んだ人も多いのだがそれにも一切触れない。バトーは、「人間か人形か」の区別が重要なのではない言っている。「罪のある人間は死んでもかまわんが、罪のない人形が「死ぬ」のは許せん」ということである。「人間/人形」「生身/アンドロイド/ガイドノイド」という区別なんかどうでも良く、「ゴーストがあるもの/ないもの」を区別しているということだろう。自分のゴーストがささやく「生きるべきもの」「死んで当然のもの」を分けている。非常に独善的だが・・・。主人公であるバトーに対して今イチ感情移入できない点はここにあるのかもしれない。
5:高度情報化の中でのディスコミュニケーション
バトーは、プラント船の中で何が起っていたか、一切口をつぐむ。それは、「ゴーストのささやき」(=非科学的で根拠の不明な理由)を人に話したところで解ってくれるはずもないというあきらめでもある。バトーは逃亡中の草薙を追わない(これは職務放棄だ)が、これも無根拠に「草薙」を信頼しているからだ。(草薙は職務上得た記憶と自分のアイデンティティが切り離せなくなり、自分のアイデンティティを守るために、記憶を消去せずに持ち逃げした)
「信頼/愛情?」という関係しかないバトー/草薙の関係と、一緒に行動し情報を共有しているがそこまで踏み込めないバトー/トグサの関係がとても対照的。
6:感想
総合評価:★★★(3/5)
無意味な祝祭シーン、アホみたいに連発する衒学的引用には辟易。前作の方が見応えがあった。今日は疲れたので、また機会があるときにでも・・・
(あしたは「スキャンダル」でもいってみっかな。)

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