浦辺鎮太郎「紀伊風土記の丘・松下資料館」

松下資料館エントランス・古墳のエントランスと同じ要素で出来ている。別写真参照

浦辺鎮太郎生誕110年建築展が,10月に倉敷で,12月に横浜で開催されます。和歌山大は「紀伊風土記の丘・松下資料館」の模型製作を担当しています。https://www.urabeten.jp

資料集にその説明文を書きました。400文字では収まらず,850文字のバージョンも作りました。もちろんそちらばボツになりましたが,別ページで「コラム」を担当することになりました。

ここには,ボツとなった850文字のバージョンを載せておきます。私としては,この850文字が一番気に入っています。

紀伊風土記の丘は,和歌山市東部,紀ノ川にほど近いの岩橋千塚古墳群を中心とした考古・民俗系博物館で,アルパックによって史跡全体のマスタープランが計画された。その中心施設が松下記念資料館で,松下幸之助によって寄贈され1971年に竣工している。
この建物には3つの特徴がある。第一は建物のボリュームを小さく見せていることである。資料館は1600㎡超と,移築民家や埋蔵文化財に比べて圧倒的に大きい。谷筋のため鉄砲水に備えて建物をピロティで持ち上げられているにもかかわらず,地形を巧みに使うことで見かけの大きさを抑えている。来館者からは1層にしか見えず,屋根も見えない。そのため建物というよりも敷地を囲う塀のような印象を持たせることに成功している。第二は,異界へのゲートとして作られていることである。駐車場からは450mの歩行者専用緑道が古墳群に向かって伸びているが,その線上に資料館がまたがっている。来訪者は緑道をまっすぐ進み,塀に開けられた穴のような薄暗いピロティに引き込まれる。ピロティの中心には移設された石室が配置され,吹き抜けから印象的な光が落ちている。上部は展示室となっており,現代と古代が交差する空間である。来訪者は印象的な空間を通り抜けることで,古代へ越境するような空間体験をする。第三は,古墳というモチーフである。外装材は地元産材の紀州青石(緑泥片岩)が使われているが,これは古墳の石室に用いられている材料である。エントランスはシンメトリーな構成で左右に石垣が伸び,中央に暗い入り口が口を開ける。中に入るとピロティの床仕上げは砂利敷で土の匂いが立ち込める。この空間構成は明らかに横穴式石室である。そしてまさにその方向通りに,移設石室がピロッティ中央に配される。ピロティ壁面には半割り丸太を用いた荒々しい格子が,窓には銅鐸の模様を模した面格子がつけられており,これも古墳を強くイメージさせている。(平田隆行・和歌山大学システム工学部)

空撮,緑道をまたぐゲートとして建てられていることがわかる。
古墳の入り口。資料館のエントランスと同じである。
紀州青石の石室内部。資料館にも青石がふんだんに使われている。

外壁に使われている紀州青石 この建築の特徴となっているが,石室がそのモチーフであろう。

600字のコラムを追加で書きました。こちらも転載しておきます。

紀伊風土記の丘は,「岩橋千塚古墳群」という古代の墓所を「遺跡公園」として整備するプロジェクトであった。アルパックは埋蔵文化財への影響を抑えた歩行者中心のマスタープランを描いたが,「歴史」へ意識が薄い地元では理解が及ばず,無理に車道を造成するなど,保存という名の破壊が行われつつあった。それを危惧した専門家たちが松下幸之助の寄付を得て浦辺を召喚し,事態の改善を図った。浦辺には歴史に敬意を払いながら現代を創造する「手本」が求められた。
ピロティが採用された資料館を「高床式倉庫」の引用だと見る向きもあるが,それは「歴史に敬意を払った」からではない。谷筋にあたるこの場所は鉄砲水のリスクがある。安全な場所にはすでに古墳が築かれており,避けることは難しい。そこで採用されたのがピロティで収蔵品を守る方法だった。だが,単に高床にすればボリュームが大きくなり他の遺跡を圧倒してしまう。さらに「高床式倉庫」のイメージは,この地の歴史を粉飾することになるかもしれない。そこで斜面を利用して掘割のような土地をつくり,ピロティを隠すように石垣を配した。屋根もできるだけ目立たせず,天井高の必要な展示空間を中央にのみ配置して軒高を抑え,緩い勾配屋根とした。こうして建物のボリュームは小さく抑えられ,ピロティは土と石に囲まれた暗い穴蔵の空間となり,「高床」ではなく古墳内部が「再演」される空間となった。(和大システム工学部・平田隆行)

P.S.

推敲段階では,マスタープランが万博公園のマスタープラン(丹下健三とアルパックが協働)との関係していることにも触れるつもりでした。そこから発展すれば,縄文論争,さらに丹下という意味では,広島ピースセンターのピロティとの比較なども面白いのですが,いかんせん,600字に収まるわけがなく。丹下健三とアルパックが大阪万博お祭り広場で展開した,太陽の塔を据えた巨大な屋根空間と同じように,浦辺は古墳を中心に据えたゲートウェイを作るのですが,できる限り小さな空間を作ったのだ,と考えると,とても対象的です。国家スケールの丹下に対して,地域スケールな浦辺,と言えるのかもしれません。

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