吉阪隆正「頭と手」

12月17日、ANAの0700発の飛行機で東京へ。
学会の図書館に用があるのだが、集合住宅(代官山ヒルサイドテラス、経堂の杜)の写真を撮ること、そして、吉阪隆正展とシンポジウムを見ること、つが一番の目的。(経堂の杜についてはまた後日)
会場は30分前にすでに長蛇の列。席を確保してから、展覧会を見る。油土の模型が存在感を出しているが、なによりも興味深かったのは、本人による図面。建築じゃなくて、インフィルとしての生活が描き込まれている。
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自分の実測図面とだぶる。ここに原点を見た、という感じ。
そして、いよいよシンポジウム。


まずは、教え子である重村力(神大)先生による講演。
吉阪の言葉を、詩のように朗読する、あるいは弁士のように語る「紙芝居」で、吉阪のことばをもう一度、音として、なまの力として、蘇らせた。とても短時間で多くのことが込められていて、急ぎ足過ぎたけれども、とても感動的な講演だった。あえて吉阪隆正を分析的に解説せず、吉阪を演じた、そんな気がした。
次に、伊東豊雄、内藤廣、五十嵐太郎、倉方俊輔によるシンポジウム。
内藤廣のみが、吉阪門下生で、その他は外部。それぞれの立場から見て、吉阪とは何か?を論じる。
五十嵐太郎は相当苦しそうに発言していた。かなり扱いにくいらしい。こんな五十嵐太郎ははじめて見た。不連続統一体とオープンソース開発の類似性を指摘した発言があったが、これは私とは意見が違う。(オープンソースは、超エリートが真剣に、純粋に=遊びで、つくっているモノで、誰もが参加できるもんじゃない。)
もうひとつ興味深い発言は、吉阪イズムの「近寄りがたさ」だった。そのひとつが回顧展での「反コンピュータ」思想の違和感だった、という。これはとてもよくわかった。このことは象設計集団の新刊本の話でくわしく触れたい。
倉方俊輔は的確に問題を整理し、まとめた発言をしていた。ただ、あらかじめ台本をつくっていたような発言でライブ感覚はなし。
興味深かったのは、伊東豊雄。
篠原一男流のミニマリズム建築を志向していた「中野本町の家」に、早稲田の人たち(菊竹/吉阪)は、ミニマリズムではない、抽象的なものではない、何かを見出していた、という。
そして、吉阪隆正の自邸に関する鋭い指摘。吉阪自邸はドミノシステムという、S/I分離発祥の近代建築。だがそれを自力建設的に造り、アジアンバラック的に住んでいる吉阪。そこにル・コルビュジエが訪問している写真がある。それを伊東は、近代建築とアジア的or生活的な現実とが乖離していない時代があったのだなぁ、と発言。この発言にはビビっ、とくる。
そして、とどめに、「自分の建築を変えたいと思っている」。これは新建築の8月号に、藤森照信が「伊東豊雄氏が白派から赤派へ、越境しつつある」と報告したこととリンクする。明らかに近代初頭やル・コルビュジエにはあったが、「丹下」「槇」「安藤」「ミース」が継承しなかったモノ、いまメジャー路線から無視されている何か、に着目していることが感じられた。
(講演のMP3有ります。)
三田で重村研の東京在住OB達と飲み、現役達と南千住の簡易宿泊所のドミに泊まる。徹夜続きで、ネット接続しながら爆睡。
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吉阪隆正「頭と手」」への1件のフィードバック

  1. ご無沙汰です。
    講演会に行けなかったので、
    せめて展覧会だけでも、と本日行く予定をしていたのですが、体調不良のため泣く泣く自宅待機中です。。。
    (詳しくは、mixiに書いてみました)
    よければ講演mp3聞かせてもらえるとうれしいです。
    それでは、よいお年を。

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