1.17_阪神淡路大震災20年_六甲道北の20年

阪神淡路大震災・六甲町

1995年1月17日0655,神戸市灘区六甲町

毎年,1.17では,このブログに1995年1月17日6時台から9時台にかけて神戸市灘区を中心に撮影した写真を出していました。
阪神淡路大震災の写真のアーカイブは進んでいて,神戸大や神戸新聞が大変素晴らしいサイトを構築されています。ただ震災当日の写真は少ない。特に発災当日午前は限られます。だからネットに残しておきたい,と思った次第。(削除を余儀なくされたものもありますが・・・)

ブログには出していませんが同じ場所で,同じ1月17日の,出来る限り近い時間帯に再訪することを,何度か行っています。

阪神淡路大震災5周年・六甲町

阪神淡路大震災5周年・2000年1月17日0632,神戸市灘区六甲町

阪神淡路大震災20周年・六甲町

阪神淡路大震災20周年・2015年1月17日0719,神戸市灘区六甲町(確証はないですが,ほぼ同じ場所だと思います。)

 

今回は20周年でしかも土曜日,センター試験の試験監督も外れたので,行くことができました。未明の高速で向かいました。

同じ場所の20年後を追う,というのは,当時の記憶をフラッシュバックさせるとともに,20年という時間,復興とは何か,を考える重要な機会です。私にとっては,ある種の儀礼のようなものです。

ここに掲載するのは,JR六甲道駅(神戸市灘区)近く,六甲町の様子です。ここは発災直後に火災が発生した地域で,地区の7割が全半壊・全半焼,という地区です。「六甲道駅北地区震災復興土地区画整理事業」によって復興が行われました。

5年後(2000年)の写真では,震災直後の面影がありますが,区画整理後は焼失した街区を中心に公園となり,全く様子が違います。周囲にも高層マンションが建ち並びました。

阪神では災害5年後以降に風景の大きな断絶がありました。5年後までは風景は変わらず,そこから区画整理が行われると,「新しい街」が現れる。
災害によって風景も変わるのですが,震災復興事業による風景改変はインパクトがあります。震災復興事業が姿を表すのは,5年後から10年後にかけてでした。

六甲道北は「まちづくり協議会」の仕組みが功を奏し,時間をかけて造られました。評価できる事例だと思います。ただ,もう少し,過去の地域文脈も残して欲しかったようにも思います。

東北でも今後,防潮堤や浸水地域の整備が行われ,地形改変が進み,風景がまた変わると思います。

この定点観測はシリーズで数カ所,紹介していく予定です。

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