鶴見和子の終の住まい

7月31日、柳田國男・南方熊楠研究で著名な、社会学者の鶴見和子が死去。
ショックだった。
ちょっと前に、南方熊楠の自宅の改修設計を行なうにあたり、熊楠の住まい方を日記から考察する研究を行ない、十年ぶりくらいに鶴見和子の著作を読んでいたのだ。
鶴見和子経由で熊楠・柳田を見ると、二人の巨人の現代的な意義がとてもわかりやすくてエキサイティング。清く正しく、ピシャッとした文章。南方熊楠とともに鶴見和子自身にも魅了され、ファンとなった。
さて、鶴見和子をwikipediaを見てみれば、なんと後藤新平の孫で鶴見祐輔のむすめ、弟は鶴見俊輔、従兄弟が鶴見良行というリベラリストの本家血統。少数精鋭エリート教育を受けた戦前世代だ。このメンツなら、地域主義・共生主義でリベラリストなのもうなずける。
しかし、訃報の報道で引っかかったのが、鶴見和子の「住所」だった。

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個室とすまい

いま、建築計画にかんする、かなりややこしい話の原稿を書いていて、
建築計画について、久方ぶりに考えてみた。
nLDKが建築計画の51c型アパートから生まれたとする説が一般的だが、それは誤りで住宅の商品化がnLDKを生んだ、というのが正しいという。
さて、そのnLDKですが、最近(というかこの15年くらい)は、家族がもはやnLDKに収まらない、という主張が出てきている。家族全員個室ベースにすべきだ、という話が研究者からも建築家からも出てきている。
あー、僕らは勉強部屋という個室で育った世代だからそうかもね。
と、思っていたが、自分の生活を見てみると、全然個室がない。
ずーっと誰かと一緒で平気なのね。
なぜなんだろう?
でも、個室は無いけれど個人化は徹底していて、寝る時間も起きる時間もバラバラ(アイマスクと耳栓をして寝れば大抵はなんとかなる)。
一緒に同じ部屋に居ても、気配を共有するだけで、やっていることは完全に個人でバラバラ。考えていることもバラバラだし、見てるものもやっていることもバラバラ。
これはそもそも家にテレビが無い、というのが大きいかもしれない。(そのかわりPCは一人2台もある)
私には、個室かどうかは全くどうでもいい話になっていると感じる。ノートパソコンが一台、ネットにつながっていればどうにでもなる。
問題は「共有する気配」の質なのかもしれない。

非電化の衝撃

asahi.comで読んだ、「非電化製品の普及に取り組む発明家・藤村靖之さん」。
非電化工房を読んでさらに衝撃。
なんだこれは?
コロンブスの卵的発想の連続にまったくもって頭がクラクラする。
非電化冷蔵庫、原理は既知のものだ。「冷熱輻射」とか「冷輻射」ってよばれてる原理。
簡単に言うと、夏の暑い日にトンネルを歩くとひんやり涼しい、という原理。
実はトンネルの気温を温度計で測っても気温は外気と同じ。ではなぜ涼しいかというと、それがこの冷輻射。熱が赤外線となってトンネルの壁に放射されるけど、トンネルの壁からはたいして放射して来ないので温度は逃げていくばかり。だから体温は下がっていき涼しい、という仕組み。
しっかし、それで冷蔵庫が出来るとは仰天。
頭の中では、世界中の住居の壁に、この非電化冷蔵庫がへばりつき、パキスタン・ハイデラバードの「バッド・ギア(風窓)」のような景観が広がるのを想像してしまう。
うわー、建物に取り込みたいなぁ。
ライトシェルフを記憶形状合金をつかって上手く造ってしまう装置にも仰天。
すごいねぇ。建物に取り入れたい。すごく楽しいなぁ。

ネットは星を覆い、多様な住まいはかたちを変える

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先週の日曜の深夜、研究室の電話が鳴った。
「Hello, This is oversea’s call from Philippines, for Takayuki, HIRATA,」
「えっ? アンボイ!?」
そう、フィリピンのフィールドから、人生の先輩であり、もっとも信頼できる親友であり、ワルで優しく、頭のよい、インフォーマントのアンボイからだ。
しかも、携帯からだという。
そう、フィールドのすぐ近くの国道(といっても徒歩で2時間以上)までは電波が届くのだ。
驚愕だ。
ちょっとわかんないことをヒアリングできてしまう。
20年前迄、そこは外国人の立ち入りがほとんど出来ない紛争地帯だったし、5年前ですら日本電話をかけるためには一泊二日で50Km先の町まで行かなくてはならなかったのだ。国道ではジープが谷に落ちて、年間10人位の割合で死んでいたような所だ。
そこに、直接電話が繋がる!
すごいことだ。
さて、その電話内容はさらに驚愕だった。

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