(大規模住宅地開発の「ふじと台」。この近くに、ひっそりと、かつ大規模に土砂が取られている谷がある)
関西空港の埋め立て土砂は、おもに大阪と和歌山を隔てる葛城(かつらぎ)山系から持ってきた。
関空第一期工(1990年頃から94年)の期間には、南海本線に沿って、ハウジングメーカー主導の大規模住宅地が造成されている。もちろん、土砂は関空の埋め立てに使う。当初はバブルまっただ中だから、住宅は飛ぶように売れた。
しかし関空が開港したころにバブルがはじけ、その後は販売に苦しむ。
そういえば我が和歌山大システム工学部は96年の設立。とすれば造成はちょうど関空埋め立て時期。つまりは関空に土砂を提供した丘陵地に本学は建っているのだ。
関空一期工の土砂採取場は、主に南海本線沿線丘陵地の住宅地だった。土取りの跡地は、一応は有効利用されたわけである。
で、第二期工はどうかというと、
関空二期工の爪痕、壮絶なるブラウンフィールド
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