15.5mの津波防潮堤を作っていたため、居住域が完全に無事だった太田名部集落。漁業関連設備が中小企業再生機構の支援で復旧している。また、津波防潮堤の上部をコンクリートで嵩上げ。地盤沈下分を載せたらしい。
15.5mの津波防潮堤を作っていたため、居住域が完全に無事だった太田名部集落。漁業関連設備が中小企業再生機構の支援で復旧している。また、津波防潮堤の上部をコンクリートで嵩上げ。地盤沈下分を載せたらしい。
田老町_20130106
2011年4月(震災1ヶ月後)と、2013年1月(21ヶ月後)に同じ場所で撮影した写真を並べてみたいと思います。まずは、2013年(現在)の写真。
一部に水産施設が建っているが、建築規制から住居系の建物は全く建っていない。小さな倉庫が建てられている。そして電信柱。
2013年1月6日から8日まで、一年ぶりに岩手県沿岸部を廻った。2011年4月に廻ったルートとほぼ同じ場所を再訪問した。
震災4週間後と、21ヶ月後の風景を比較してみたい。2013年1月の写真、2011年4月の写真を連続して載せたい。
今年は朝、5時46分に起きていた。まもなく3歳になる娘が、泣きじゃくったからだ。夜明け前の暗い部屋で、「こんなに暗かったんだな」とか、「なかなか夜が明けないのだな(6時半でもかなり暗い)」と考える。
さて、写真は、1995年1月17日、阪神淡路大震災当日朝、7時40分頃の写真。神戸市灘区。この時間帯には、若い男性が組織的に、部屋に閉じ込められた老人や、生き埋めになった人々を助け出す様子があちらこちらで見られた。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
年賀状は「大根」です。
郵便の年賀状、発送が遅れてしまい申し訳ないです。年末から年始、風邪をこじらせてしまって遅れました。大抵、31日夜に印刷するのですが、それがかなわず。
実家は実家でノロウイルスに感染したとか。おかげで年末年始は自宅で引きこもり、3食すべての調理担当。それなりにお正月料理を作ったのでした。(正月は鰹だしがたくさんいるんだねぇ、毎日2L、4日連続。)
これまでの年賀状シリーズは、こちらです。