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2006-08

「文化としての住まい」11_「葬儀とその空間」

遺体が安置される住居のまわり(ファクンゴン)。男性のみが住居の周囲にたたずむ。女性は住居の中に留まっている。
060327産經新聞和歌山版_研究室最前線
現在、日本人の多くは病院で生まれ、病院で死を迎える。病院での死後、自宅ではなく斎場で葬式を行うことも少なくない。人の死は住まいから切り離され、より専門的な施設へと隔離されつつあるのかもしれない。和歌山大学システム工学部環境システム学科の平田隆行助手は「カリンガ族の村では、病人や死者が村から追い出されるのではなく、死が村を訪れる」のだという。日常生活の場で最後を迎えるカリンガ族の「死」の受け止め方を平田助手に聞いた。

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言葉と風景〜和歌の浦_岩淵拓郎+和大建築設計ゼミ

「文化としての住まい」10_「熱い祭りと震える音楽」

パットンを踊る村人達
写真:パットンを踊る村人達。庭先に数百人が集うこともある
060320産經新聞和歌山版_研究室最前線
他人と同じ時間と場所を共有することが難しくなってきている。
生活時間も生活スタイルも違う住人が地域イベントを企画しても、楽しみというよりむしろ負担でしかないのかもしれない。
和歌山大学システム工学部環境システム学科の平田隆行助手は、「カリンガ族のような社会に戻ることは出来ないが、集団で行う祭りや芸能の質の高さは無視できない」という。カリンガ族が心血を注ぐ儀礼と、心を震わせる音楽について、平田助手に聞く。

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鶴見和子の終の住まい

7月31日、柳田國男・南方熊楠研究で著名な、社会学者の鶴見和子が死去。
ショックだった。
ちょっと前に、南方熊楠の自宅の改修設計を行なうにあたり、熊楠の住まい方を日記から考察する研究を行ない、十年ぶりくらいに鶴見和子の著作を読んでいたのだ。
鶴見和子経由で熊楠・柳田を見ると、二人の巨人の現代的な意義がとてもわかりやすくてエキサイティング。清く正しく、ピシャッとした文章。南方熊楠とともに鶴見和子自身にも魅了され、ファンとなった。
さて、鶴見和子をwikipediaを見てみれば、なんと後藤新平の孫で鶴見祐輔のむすめ、弟は鶴見俊輔、従兄弟が鶴見良行というリベラリストの本家血統。少数精鋭エリート教育を受けた戦前世代だ。このメンツなら、地域主義・共生主義でリベラリストなのもうなずける。
しかし、訃報の報道で引っかかったのが、鶴見和子の「住所」だった。

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個室とすまい

いま、建築計画にかんする、かなりややこしい話の原稿を書いていて、
建築計画について、久方ぶりに考えてみた。
nLDKが建築計画の51c型アパートから生まれたとする説が一般的だが、それは誤りで住宅の商品化がnLDKを生んだ、というのが正しいという。
さて、そのnLDKですが、最近(というかこの15年くらい)は、家族がもはやnLDKに収まらない、という主張が出てきている。家族全員個室ベースにすべきだ、という話が研究者からも建築家からも出てきている。
あー、僕らは勉強部屋という個室で育った世代だからそうかもね。
と、思っていたが、自分の生活を見てみると、全然個室がない。
ずーっと誰かと一緒で平気なのね。
なぜなんだろう?
でも、個室は無いけれど個人化は徹底していて、寝る時間も起きる時間もバラバラ(アイマスクと耳栓をして寝れば大抵はなんとかなる)。
一緒に同じ部屋に居ても、気配を共有するだけで、やっていることは完全に個人でバラバラ。考えていることもバラバラだし、見てるものもやっていることもバラバラ。
これはそもそも家にテレビが無い、というのが大きいかもしれない。(そのかわりPCは一人2台もある)
私には、個室かどうかは全くどうでもいい話になっていると感じる。ノートパソコンが一台、ネットにつながっていればどうにでもなる。
問題は「共有する気配」の質なのかもしれない。

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