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2004-08

環境に対峙すること

13時に大阪市中央公会堂にて学芸出版教科書の打合せ。
宇治田邸(本多教授作品)をもとにした、木造住宅設計手法の教科書にて「環境カルテ」を担当。なぜ地域に目を向けるのか?を解説し、その具体的手法を開示すると言うもの。
特に参考にしたのは「発見的方法」(早稲田吉阪研での呼称)。地域を見てデザインボキャブラリーを拾ってくるだけのデザインサーヴェイなどではない。またフランプトンの「批判的地域主義」とも違う。(批判的地域主義は、その地域地域での建築の工業化を言っているか、もしくは地域の建築文化をモダニズムの建築言語を用いて表現することのどちらかでしかない) そうではなく、いまそこにある環境を綿々と続く人類の創造の集積であると見なし、それに敬意を払いつつ、そこに仲間入りをすることが建築だと見なす。その地域がどちらに向かって変化しようとしているのかを感じること、今そこにある街の姿から出発させて、空間のイメージを膨らませ、望ましい街の未来を構想してみること、よりよい未来に向かうものを、地域環境をリードするものを地域に投入することが、までをめざす。
また、面白いのは、分析的に要素に切り分けて判断するのではなく、全人格的に環境に対峙して、統合的に、主観的に環境特性を把握しようとする姿勢が面白い。
さて、私にそれを文章化できるのかどうか?非常にあやしいけど、ちとやってみようと思う。都市環境設計製図Bでの、なんかやり残した感もあり、その代償としても、全力投入してみよう。
そういえば、地域を読むこと、これをずーっとやってきたのが、私の調査遍歴だったような気がしてくる。でも調査ってとてもクリエイティブな行為だと思い知ったのも事実。こういう気持ちを伝えることは果たしてできるだろうか?
明日からは北海道です。

日東・下寺住宅

東京の同潤会に対して、大阪の日東下寺住宅。その見学会を行なうそうです。
友人の井戸・米正プロデュース。以下転載。
2004年8月28日(土)
『最初の近代アパート、近代アパートの最期 ・・・
軍艦アパート(大阪市北日東町住宅)見学会』
コーディネート:稲村純さん+米正太郎
〜14:00 地下鉄堺筋線恵美須町駅・北側改札口集合
14:10〜 見学会(内部・外部)
16:00〜 二次会(稲村さん曰く「ジャリン子チエ風」一銭洋食焼屋)
参加費:500円(居住者へのお礼+資料代)
事前申込:不要
時間に遅れた方は直接現地までお越しください。
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=34.39.17.548&el=135.30.43.546&la=1&fi=1&sc=3
『昭和初期に建設された大阪初の鉄筋コンクリート造3階建ての市営アパートで、浴室こそ無いものの、当時珍しい水洗トイレを備え羨望の的だったと言います。全体の住戸位置は中央に南北軸の2棟を挿入した“ロの字型”プランで、中庭の樹木が階段室低層の建物と相俟ってシットリとした空気を漂わせています。そして何よりも、銘々各住戸が自前でベランダや庇上部に増築した「出し家」の光景が実に見事・圧巻なのです。今は無き香港・九龍城も如くありなんといった迫力、コルビュジェのぺサックの住宅や東京・同潤会のアパート群も真っ青といった趣で、大阪人の居住意欲に改めて度肝を抜かれます。』(稲村純)
http://homepage.mac.com/ryomasuda/Saigoku/Naniwa/gunkan/

comeback

しばらく更新止めていたけど、復帰です。
ふぅぅー。とりあえず、一段落。
昨日、その足で神戸に帰って(17時)、起きたら朝7時!
和歌山に戻って(何しに帰ったんだろう?意識があったの45分くらいだ・・)、大学へ。晩飯時には県営プールでスイミング1000m(実にひと月ぶりだ)。
疲れてたんですね。
■23日リサーチペーパー発表
平山明義先生(建築家・建築評論家、大阪市立大学非常勤講師)
予想を超えるすばらしい成果。4年生はこれまでどうも評価が低かったが一気にかつて最高レベルまでのし上がる。卒業設計に期待!
特に良かったのは、本調、佐野。
本調はユーコートと島団地という、コーポラ集合住宅の共同空間を比較したもの。資料とフィールド調査を地道に積み重ね、修士論文に切迫する程のレベルに達した。議論となったのは島団地(和歌山県御坊市)をどう位置づけ、どう評価するべきか、という点。またコミュニティをどう考えるかという点だった。平山先生からコミュニティについての違和感が提示された。私としては「コミュニティ開放論」という考え方に賛同する。ウェルマンが提示した概念(「人は「地域」のなかに生きているのではなく、ネットワーク-個人を点とし個人と個人の間の相互作用を線で結んでいって見いだされる相互作用の密集-のなかに生きている」)で、コミュニティはあってよいが、場所とコミュニティは一対一で対応しなくてもいいし、人とコミュニティは一対一対応しなくていい、タコ足的に様々なコミュニティを組めばいい、と言うもの。そのための空間って、さてなんだろね?
佐野も同様。泉佐野市のウォーターフロントを掘り下げた研究。郷土史などの「書かれた歴史資料」と現実の現象を捉えた「サーヴェイ」、それをベースにした、現代の開発に対する批判が、うまく一本の線につながっている、説得力を持つものだった。
興味深く、また緻密だったのは片山。
これも修論に準ずる研究だった。積み木に着目した建築形態論。ただしこれを実際の設計に活かすのはすんごく難しい。建築の形態とは重力・風力などの諸条件をクリアすれば自由であるかに見えて実はそうではない。自分が住み、慣れ親しんできた空間にものすごく左右される。大々的に新しい空間を受け入れるってのは、その住人が余程切羽詰まった時なのだ。(第一次大戦とか、第二次大戦とか、高度成長期とか・・シトロアン住宅、ドム・イノなどのル・コルビュジエのモダン住宅は第一次大戦直後。)衣服のデザインを考えると興味深い。前衛デザイナーは「衣服」か「そうでないか」のギリギリのラインを突いてくる。そう、デザイナーとは「衣服」だと認識できる領域を押し広げる人たちのことを言う。建築も同じ。きわどい。
北脇の南海電鉄岬変電所という「産業遺構」については、いろいろと勉強しているが、この建物の位置づけをもう少しはっきりと考えた方がいい。コメントしたのは日本の「近代化」には2通りあり、ひとつは「西欧化」であり、様式建築のこと。おもに官庁や銀行に用いられる。もうひとつは「技術移転」であり、石造、レンガ造の建物と、工業化がこれに当たる。銀座レンガ通、ブラントンの灯台など。土木インフラ、工場などに用いられる。後期になるとRCや大規模鉄骨造といった現代構法の輸入、さらには自国開発(竹筋コンクリート構法など)へと進む。藤森照信が「擬洋風」という概念で、開智学校や第一国立銀行を挙げているがあれは、日本人が如何に「西洋」を受け入れ、それが地場の技術とどうハイブリッド化したか?という視点にたったもの。これらの意味をふまえて価値かすればいいと思う。(図面、ちょっとおかしかったから直しましょうね)
笠井の「縁」に注目した民家再生だが・・・
これもコミュニティという問題をはらむ。縁側とは、「袖振りあうも多生の縁」、他者が他者でないかのように現れることができる場所。」これは「セミパブリック」な空間というよりは、「身内」として振る舞える空間設定。
これが現代でも有効か?と言われれば疑問を抱かざるを得ない。地域みんな顔なじみという前提で成り立ちうる空間装置なのだろう。ではその現代的意義とは?
あたらしい「縁」の意義を見つけなければ成りませんね。集合住宅では「リビングアクセス」というアプローチが見られます。参考にしてみてください。(集住のなわばり学・彰国社・小林秀樹)
ふぅ。力つきた。

帰国報告_中国、

帰国しました。
大学直帰はせず、一度荷物を置いて選択して飯喰って復帰です。
今回の中国調査でいい経験だったことは・・・
サッカーアジア大会決勝(中日戦)を中国人と一緒に街で見たこと。
それは何だったか?
もともと反日感情が強いのは当然。
しかし・・・どうもそれだけではない・・・マスコミの煽り方もおかしいのではないの?と感じた。尖閣諸島(とその地下資源)って、これほど広大な大陸にとってサッカーの試合で国歌にブーイングする程の大きな話題なのか? 中国でテレビ放送をみているとそのバイアスに驚かざるを得ない。
アンダーソンの「想像の共同体」を思わざるを得ない。スポーツが喚起する「国家」・・に利用される「仮想敵国日本」・・・・の構図が・・・・
中日戦で、両国のわだかまり(もちろん侵略のわだかまり)の「ガス抜き」ができるて、ちょっとずつでも良い関係になれば全然かまわないけど、そうでもない気がした。
まだ雲南に残っている中国班!私たちは地元の人たちにとっては「日本代表」として見られるわけだから、心して接してね。
マスコミの大衆操作で思い出した。Foxグループの大衆操作のカウンター(対抗)として名高い「華氏911」が公開されるそうだけど、ネットから情報を引っ張っていれば、ビンラディン一家とアメリカのつながりなんて、だれでも知っていること。(けどアメリカ国民は知らない) 建築系だとハーバード大の建築学部にビンラディン一家が多額の寄付をして(億単位)いますね。
そういえば、その中核をなす資本グループカーライルって、DDIポケット(AirH”の会社)を買収しちゃったんです。けったくそ悪いからAirH”解約しようかな。

雲南麗江!

麗江での調査も中盤。街にもすっかりなれ、はじめての休日は大理まで遠征してみた。麗江・大理の変わりようには驚愕。今回は民族建築調査というよりも、観光化というキーワードのもとにどのように動的に社会を捉えるかということが焦点となる。さて、どうするか? ちょっと考えていることのメモを・・・
・民家は生きていた
周辺民居、納西族・白族など雲南高原の民族の民居は現在もほとんどその形態を変えていない。在来の方法で在来の形態のものを造り続けている。だから90年代以降に観光用に造られたからといってフェイクであるとはかならずしも言えない。ここでは民居は生きている。では観光化何が起きた?
・麗江は納西族の街ではない?
どうも四合院を基準にした住居や街の構成は蘇州とそっくりで、建築だけを見ると漢族そのまま。じつは納西族の建築は他民族から拝借してきたものであることが多く、じっさいチベット付近ではチベット式の住居に住んでいる。
だから、古城を見に来る人にとっては雲南・納西族というマイナリティの醸し出すエキゾチズムは建築からは感じられない。(むしろ「ふるきよき中国」の姿だ)
・マスツーリズム化するために行なわれたこととは、結局・・・
  インフラ整備(交通、宿泊、通信)
  インターナショナル+エキゾチズムのカフェ
  公衆トイレの設置
  不純物の取り除き(近代化商工業の排斥)
  公共空間(路地)の改造(石畳化)
  写真をとるためのスペースの創出(目印と「パンフレットに移る場所」の創出)
・実は建物・街並は蘇州とかわらない。よって、「納西族的」のものは、むしろ人間を介した住まい方・生活文化でしかない。しかし、それをいかに維持できるのか?これが現状の観光都市・麗江の問題点
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