1.17_阪神淡路大震災18年

1995年1月17日午前7時40分頃、神戸市灘区にて撮影。近隣住民が2Fに閉じ込められた老人を救出している様子。

1995年1月17日午前7時40分頃、神戸市灘区にて撮影。近隣住民が2Fに閉じ込められた老人を救出している様子。

今年は朝、5時46分に起きていた。まもなく3歳になる娘が、泣きじゃくったからだ。夜明け前の暗い部屋で、「こんなに暗かったんだな」とか、「なかなか夜が明けないのだな(6時半でもかなり暗い)」と考える。

さて、写真は、1995年1月17日、阪神淡路大震災当日朝、7時40分頃の写真。神戸市灘区。この時間帯には、若い男性が組織的に、部屋に閉じ込められた老人や、生き埋めになった人々を助け出す様子があちらこちらで見られた。

続きを読む

1953年の「コアハウス復興住宅」、59年後の姿

有田川町三田の災害復興公営住宅(1953)

この住宅、1953年に和歌山県中部を襲った、7.18水害(ニッパチ水害、紀州大水害とも言われる)の復興公営住宅です。

ただ、復興公営住宅だったのは、青くペンキ塗りされたセメント瓦の部分のみで、その後大きく拡張され、今では周辺の民家と同じような佇まいになっています。

おもしろいでしょ?

続きを読む

奈良・十津川村の木造応急仮設住宅

2011年台風12号災害の応急木造仮設住宅(奈良県吉野郡十津川村平谷)

7月中旬に、2011年紀伊半島を襲った、台風12号災害の仮設住宅を視察してきました。

奈良県では仮設住宅の約半分が木造で造られました。
残念ながら同じ林業県である和歌山ではすべてプレハブ建築協会の鉄骨造の仮設住宅なので少し悔しい。

奈良の木造、これがなかなか素晴らしいものでした。

続きを読む

三陸沿岸中小漁村における地域文脈(漁村と津波災害からの復興)

2012年3月に、日本建築学会都市計画委員会、地域文脈形成・計画史小委員会にてとりまとめた、「東日本大震災と都市・集落の地域文脈 -その解読と継承に向けた提言-」にて収録されています。ダウンロード

農村計画委員会にて議論されたことを中心に、漁村復興の考え方をまとめております。

 

鼎談「住宅政策と震災復興の展望」(後半)

昨日の続きです。
鼎談後半部分、3名の議論を中心にまとめました。
大船渡市の復興をまとめている塩崎先生に対して、ここをやらねばならない、という指摘がつぎつぎと持ちあがる展開となりました。その指摘は、ダイレクトに、私達の世代に突きつけられたものであります。個人的にきちんとまとめるべきだと感じ、またブログにて公開することにいたしました。

(もちろん勝手にまとめたもので、発言者に承諾などいっさい取っておりません。文責は私、平田隆行にあります。なお、このあと、塩崎先生と鈴木先生が続きます。アップできたらアップしますが・・・声援があれば…)

続きを読む