今年は朝、5時46分に起きていた。まもなく3歳になる娘が、泣きじゃくったからだ。夜明け前の暗い部屋で、「こんなに暗かったんだな」とか、「なかなか夜が明けないのだな(6時半でもかなり暗い)」と考える。
さて、写真は、1995年1月17日、阪神淡路大震災当日朝、7時40分頃の写真。神戸市灘区。この時間帯には、若い男性が組織的に、部屋に閉じ込められた老人や、生き埋めになった人々を助け出す様子があちらこちらで見られた。
今年は朝、5時46分に起きていた。まもなく3歳になる娘が、泣きじゃくったからだ。夜明け前の暗い部屋で、「こんなに暗かったんだな」とか、「なかなか夜が明けないのだな(6時半でもかなり暗い)」と考える。
さて、写真は、1995年1月17日、阪神淡路大震災当日朝、7時40分頃の写真。神戸市灘区。この時間帯には、若い男性が組織的に、部屋に閉じ込められた老人や、生き埋めになった人々を助け出す様子があちらこちらで見られた。
この住宅、1953年に和歌山県中部を襲った、7.18水害(ニッパチ水害、紀州大水害とも言われる)の復興公営住宅です。
ただ、復興公営住宅だったのは、青くペンキ塗りされたセメント瓦の部分のみで、その後大きく拡張され、今では周辺の民家と同じような佇まいになっています。
おもしろいでしょ?
7月中旬に、2011年紀伊半島を襲った、台風12号災害の仮設住宅を視察してきました。
奈良県では仮設住宅の約半分が木造で造られました。
残念ながら同じ林業県である和歌山ではすべてプレハブ建築協会の鉄骨造の仮設住宅なので少し悔しい。
奈良の木造、これがなかなか素晴らしいものでした。
2012年3月に、日本建築学会都市計画委員会、地域文脈形成・計画史小委員会にてとりまとめた、「東日本大震災と都市・集落の地域文脈 -その解読と継承に向けた提言-」にて収録されています。ダウンロード
農村計画委員会にて議論されたことを中心に、漁村復興の考え方をまとめております。